とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

コモンの再生

 「コモンの再生」というタイトルに惹かれ、図書館が休館になる前に、あわてて本館まで受け取りに行った。でも本書は「コモン」について集中的に述べられた本ではない。「GQ JAPAN」で連載中のエッセイを本にしたものだ。エッセイの内容に応じ、大きく4つの章に整理されているが、その第1章のテーマが「公共」。日本社会の現状について述べたもので、その中の一つに「『コモンの再生』が始まる」がある。「1964年の東京五輪時には東京にも多くの空き地があった」と回顧する流れの中で、イギリスの「囲い込み」を語り、アメリカの「ホームステッド法」を語り、土地の私的所有を批判するという内容だ。

 イギリスを産業革命に導いたと言われる「囲い込み」については、マルクス資本論でも批判の対象となり、斎藤幸平の「人新世の『資本論』」でも取り上げられている。私が斎藤幸平を知ったのがそもそも内田樹氏の講演会なので、内田樹も斎藤幸平には注目していただろうし、そもそも内田氏自身も「若者よ、マルクスを読もう」などの著作があり、マルクスもよく読んできた世代だ。当然、「コモン」の重要性はわかっているだろうし、凱風館などもまさにコモンそのものかもしれない。一方で、内田樹は過去にコーポラティブ・ハウスについて否定的な意見を述べていたこともあり、本書を読みつつ、コーポラティブ・ハウスとコモンの関係についても考えていた。そのことはこちらに記述した。

 まあしかし、「コモン」について書かれているのは、このエッセイと「はじめに」だけである。「公共」をテーマにした第1章は基本的にコモンや公共性に対する内田氏の意見がベースになっているが、第2章のテーマは「政治」、第4章は「国際社会」。そして第3章は「隗より始めろ」というタイトルがついているけど、内容は「瞑想」あり、「合気道」あり、「健康」あり。ようするに雑多な話題が集められている。

 そもそも「GQ JAPAN」の連載が、編集者から持ち込まれる雑多な質問に対して、編集長共々答える中で、内田氏が発言した部分を収録するという形で作られているそうで、そういう意味ではかなり雑多な内容になるのは想定どおりということかもしれない。だから特に後半は、かなり気楽に読めるし、全体的にも楽しく読み進められる。でもけっして「コモンの再生」について論じた本ではない。そのことだけはまだ読んでいないという人にはしっかりと伝えておきたい。まあ、読んで、楽しい本だけどね。

 

コモンの再生 (文春e-book)

コモンの再生 (文春e-book)

 

 

○「私たちの共有するこのコモンを、私たちでたいせつにしていきましょう」という言明を発することのできる主体は「私たち」です。つまり、コモンの価値は、「私たち」という共同主観的な存在を、もっと踏み込んで言えば、共同幻想を、立ち上げることにあった。「私たち」という語に、固有の重みと手応えを与えるための装置としてコモンは存在した。そう僕は思います。(P4)

○昭和の日本では「進歩史観」が支配的なイデオロギーでした。…21世紀に入って僕たちが知ったのは、歴史には法則性がないという冷徹な事実でした。/歴史は進歩のプロセスなんかじゃない。それはわが国の統治プロセスの劣化を見れば明らかです。…歴史は迷走している。そこにはなんの法則性もない。それが世界70億人の偽らざる実感だろうと僕は思います。(P75)

○トップが「俺が責任を取るので、現場は自己裁量で最適な対応をしてくれ。高度な判断を要する事案だけ上げてくれ」と権限委譲すれば、トラブルの発生は最小化します。これは組織論の基本です。今の五輪の運営組織には、責任を取る人がいない。…それなら誰も自己責任では動きません。…そのつど「ちょっと上に聞いて参ります」ということになる。…「ほう・れん・そう」というのは要するに「現場は判断するな」ということですから。(P150)

金正恩…をCEOとみなすのが、彼…を評価するためのより適切な方法であり、この視点でみれば、彼はうまく組織を統括してビジョンを定め、成功に必要な人材で周りを固めている。…いささか肩入れし過ぎのような気もしますが、…「金正恩の統治のリアリティ」の実相を見詰め、それを作動させている「ロジック」を見出さないと、外交的選択肢の良否については検討しようがないと僕も思います。(P243)

○なぜ、正義は流行らなくなったのか。それは正義が過剰に正義であることの害毒にあまりに無自覚だったからだと僕は思います。どのような正義も人間的な感情によって和らげられ、角を削ってまろやかなものにならなければ、正義として実現しません。…どれほど高貴な政治的理想を掲げた運動でも、生身の人間の弱さや愚かさや邪悪さに対して、ある程度の寛容さを示すことが必要だろうと思うのです。…全員が善良でかつ賢明でなければまわらないような社会は制度設計が間違っています。(P248)