とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日本経済に対する見方を変える時期が来ている。

 先週になるが、現代ビジネスに「中国の若者は『もう日本製より中国製がいい』、その消費意識に起きているヤバい変化」と題する中島恵氏の評論が掲載されていた。タイトルに「ヤバい」という言葉が付いているが、これを読んだ知人もfacebookで「残念な事実」とコメントしていた。というか、彼のコメントからこの記事を知った。でも、「残念」であれ、「ヤバい」であれ、ある意味、自然な流れだと言える。日本が技術大国として世界をリードしているというのは「幻想」だとは、先に読んだ「貧乏国ニッポン」を挙げるまでもなく、今や多くの識者が指摘しているところだ。

 思い返してみれば、戦後すぐの日本製品(メイド・イン・ジャパン)は「安かろう、悪かろう」と言われていた。日本は開国当初から、また戦後は特に、外国のモノを模倣して生産し、それを安く輸出することで国際収支を稼いできた。60歳を過ぎた年代の人々なら、小学生の頃の社会科の授業ではそう習ったはず。自動車にしろ、絹織物にしろ、日本人の発明ではなく、あくまで外国の製品を参考にして、国産品を作り、当初は価格の安さで、そして次第に品質の良さが認められ、最終的には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるまでになった。だからこそ、ハンマーで日本車を叩き壊すというパフォーマンスがアメリカで演じられたわけだ。

 だから、こうした状況が早晩、中国などでも起きてくることは当然の成り行きだ。当初は「品質は日本製の方がいい」と言っていた人々も、次第に「品質はともかくとして、デザインは日本製の方がいいよね」に変わり、そして今は「品質もデザインも、中国製の方が良くね」になりつつある。中国が日本の後を追っているだけのことだ。一方、アメリカでは少し前まで「アメリカ車よりも日本車の方がいい」とアメリカ人自身が言い、トヨタやホンダが業績を伸ばした。だから、そのうち日本でも「やはり中国製の方が価格だけでなく、品質も、デザインもいいよね」という時代がやってくるはず。そんなことは自然の流れではないか。

 得意分野の商品が世界市場で優位に立つというのは、19世紀の初頭、リカードも言っていたことではないか。しかも他国に対して比較優位な商品は常に移り変わる。アメリカでも今や自動車は、日本車よりもテスラなどの電気自動車が注目を集めている。こうしたダイナミックな動きこそがグローバル経済の特徴だ。「ヤバい」とか「残念」というのはわかるけど、負ける産業もあれば、勝つ産業もあるはず。だからこそイノベーションが重要と言われるのだ。

 とは言っても、私自身にイノベーションのアイデアもない状況で、他者のイノベーションを待ってもしょうがない。何も勝てる産業がなくても、人口分だけの国内需要だけは残っている。他国からの搾取を期待して、いたずらに背伸びをするのではなく、国内需要を基盤としたベース経済を豊かに回す中で、経済発展の可能性も出てくるのではないか。日本経済の現状と将来に対する見方を変える時期が来ているという気がする。