とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

恥ずかしい人たち

 「恥ずかしい人たち」について書いたと言うのだが、読み終えて、何が、誰が「恥ずかしい人」だったのか、判然としない。本書は「週刊新潮」での連載コラムをまとめたものだが、ただただその時々の世間の状況をネットニュース編集者という第三者的な位置から観察し、書き連ねたというに過ぎない。しかも、中立的という立場を守るためか、社会批判的な言動をする人を「恥ずかしい人」と冷笑する。正直、読みながら、すごい時間のムダという思いを否定できなかった。だからなおのことなかなか進まなかったのだが、ようやく読み終えることができてよかった。

 何となく、筆者を武田砂鉄氏と同一視し、客観的な視座で世間批評を行っていると勘違いしていた。だが、結局筆者は「広告業界出身で広告業界の暗部を口汚く指摘できる」(P200)存在にすぎなかったのかもしれない。それはそれで面白く、これまでも「ネットのバカ」「ネットは基本、クソメディア」は面白く読んできたのだが。

 本書を機にネットニュース編集者をセミリタイアすると言う。これからはどうやら文筆業で食べていこうとしているようだが、ネット業界から離れたら、筆者の優位性はなくなってしまうのではないかな。もう二度と筆者の本は読むことがないかもしれない。筆者のためにも、そうならないことを願いたいのだが・・・。

 

 

恥ずかしい人たち(新潮新書)

恥ずかしい人たち(新潮新書)

 

 

ドレスコードの重要性は認めるものの、正直、きちんと仕事さえしてくれれば、背広は着ないでもかまいませんし、ヒゲだってあっていいと思うのです。…ついでに言うと不思議なのが野球の監督です。…なぜ選手と同じユニフォームを着て帽子までかぶっているのでしょうか。他のスポーツでは、選手と同じユニフォームを着た監督はとんと見ない。背広や普段着の監督だらけです。(P32)

○2019年末、私は突然憂国の士になってしまいました。あまりにも安すぎる日本の賃金と物価を放置しておけば我々は世界での競争力を失い、海外資本から買い漁られる! と様々な連載で書き続けたのです。…その後タイ・バンコクに来て「こりゃ本気でマズい」と思うに至りました。…日本人はもはやカネづるではなくなったのです。(P144)

○常に時代はネガティブなのです。/高度成長期とバブル時代は明るかったと識者は言いますが、これも怪しい。高度成長期には進学できない人が多かったし、バブル期は一部上場企業社員や金融関係者…はウハウハだったでしょうが、その他の人は格差を感じ…ていた。「明るい時代」など、人間の有史以来、滅多にないのです。いつでも不満はあるのです。(P157)

○のんべんだらりと生きている私のようなノンポリからすれば、別に安部氏のことは「それなりに安定した政権を運営している総理大臣」や「毎年総理が代わった時代よりはずっといいわ」としか思えない存在なのです。/実際問題として、2012年の第二次安部政権発足以来、政権運営のせいで弾圧されたり殺された人なんているんですかね?(P168)

○結局良書に登場する人物や、魅力的な人というのは「恥ずかしいことを自ら言える」人々なんだな、と思いました。…「恥ずかしい人」と自覚していることは本質的には「恥ずかしくない人」であり「立派な人」にもなり得るのかな、と…感じました。(P221)