とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

脳は回復する

 脳梗塞の後、高次脳機能障害となった鈴木大介氏と、臨床心理士である山口加代子氏が対談した「不自由な脳」を先に読んだ。鈴木大介氏は別途、単著で、自らの障害とその回復の状況について書き著した本を出している。その中でも、より回復が進んだ状況の中で書かれた本書を読んでみた。妻がくも膜下出血で運ばれてから約9か月。この本は、筆者が脳梗塞を患ってから約2年半後に出版されている。妻の介護にあたり、多少でも参考になるだろうかと期待した。

 とは言っても、高次脳機能障害の症状は筆者の方がかなり重篤だ。加えて40代ということもあり、回復に向けた意欲も高い。それゆえに躓くことも多いのだが、その点は妻とかなり状況が違う。それでもなるほどと参考になる点も少なくない。

 まず、脳外科医やリハビリ医がほとんど頼りにならなかったと訴えている。「退院後3ヶ月が過ぎてなお、イライラ感とフワフワ感が収まらず。」にも書いたが、私も脳外科医に「くも膜下出血で脳に損傷を受ければ、性格が変わることもある」とかなり強い口調で言われた。「私には治す術がない」ということかもしれないが、医師が必ずしも患者や家族の訴えに真摯に寄り添って対応してくれるわけではないということを思い知った。筆者も「あとがき」で「その人が苦しいって言っていたら、苦しいんです!」(P270)と書いているが、そうした訴えを取り上げてくれる医師は少ないようだ。

 また、高次脳機能の回復は「閾値型」だという記述もそうかもと納得する。妻の場合も少しずつ少しずつできることが増えてきているようには感じる。だが、問題は「受容」だ。自立や回復に強い意志を持った筆者に比べ、妻の場合は「諦めを伴う受容」になりがちな気がする。どこまで突き放し、どこで手を差し伸べるかはかなり微妙で、なかなか正解に辿り着けない。「『自分でやる。けど、ただ一緒についてきてもらい、必要なときだけ介助してもらう』は、涙が出るほど助かる距離感」(P225)とあり、そうしたいと思うが、本人の意思との間で最適な距離感を見つけるのは難しい。どうしても甘やかしているような気がする。

 また、高次脳機能障害発達障害に近いという記述は確かにそうだろうと思う。筆者は、「怒りや苛立ちを感じて言葉を失う」という状況を「脱抑制」や「心因性失声」として説明するが、これって私もよく経験するかも。私自身が高次脳機能障害だろうか? それとも発達障害? もっとも私の場合はどう反論すべきか文章が整理できず、口ごもってしまうので、少し違うとは思うが、筆者はこうした状態のことを「初恋玉」と表現する。筆者の奥さんの命名だそうだが、本書ではその他の症状もこの種の楽しい言葉に置き換えて説明をする。羊水の中にでもいるようで自分が自分でない感じの症状を「井上陽水」。その他にも「架空アイドル現象」「夜泣き屋だいちゃん」「口パックン」「イラたんさん」と様々な症状を置き換えて表現。これがまた本書を読みやすいものにしている。

 不良少年やリストカッター、犯罪者などの多くも、こうした脳障害や発達障害を抱えているのではないかという記述は興味深い。脳障害を受けている人を総じて「脳コワさん」と読み替えている。怖い人ではなく、脳が壊れた人。でもそんな人がけっして特殊ではない。いや、僕らは老化の前に全員が予備軍だ。そう思えば本書は、脳障害を負った人だけでなく、老後を控える全ての人にとって読んでおいて損はない。中でも、脳外科医などの医療関係者に読んでほしいけど、彼らはこんな気楽な本は手に取ることはないだろうな。残念だけど。

 

脳は回復する  高次脳機能障害からの脱出 (新潮新書)
 

 

脳梗塞を起こすと人は性格が変わったようになるとは聞いていた。けれど違う。僕は僕として、変わらずにあり続けている。けれど、性格や僕という人物が変わってしまったのではなく、病前の僕と同じパーソナリティでいるための「僕自身のコントロール」が失われてしまったのだ。(P16)

○この症状について、担当だった脳外科医たちやリハビリの先生にもたびたび訴えたが、みんな首を傾げるばかり…。ところがどっこいこの症状、実は…高次脳機能障害関連の書籍でも、「当事者が書いたもの」には度々登場する。…当事者にとっては普遍的な症状なのに…高次脳障害に関わる医療現場では、当事者が訴えているにもかかわらず、見逃されている症状だとしか思えないのだ。(P70)

○高次な脳機能の回復とは当事者からすると「閾値型」だ…身体の麻痺については病後にものすごい勢いで回復を見せたが、高次脳についてはその回復が非常に穏やかなため、その回復を日々実感することはない。水面下で少しずつ少しずつ機能の回復が続き、その回復がある閾値を超えて、できなかったことができるようになった時点で、一気に「あれ! 回復してる!」と気付くのだ。(P144)

○子どもとは、高次脳機能が発達途上な段階の人間ということができる。…家庭や学校という社会で生きていくことで、子どもの高次脳機能は発達するのだ。…日常生活に戻り、挑戦すること以上に単純で効果のあるリハビリはない。…ただし…病前の日常生活でやれたことの中でも、「得意だったことや楽しかったこと」をやることが、効果的な高次脳リハだ(P191)

○受容には二種類ある。/リハビリの現場などで忌避される受容は、「諦めを伴う受容」。自らの障害を認識した上で、抗うことをやめてしまうものだ。もう一つの受容とは、障害を認識して見つめ、理解することで、周囲の環境調整に工夫を施し、障害の苦しさを和らげるものである。…冷静で適切な受容ができていれば、やれる作業をやり易くし、条件を整えることでやれなかったことをやれるようにすることもできる。(P204)

○「社会のなかで、最大のリスクとは孤立」である。…最もハイリスクなのは、何者とも「繋がれない」ひとたちだ。(P255)

○脳コワさんの世界は誰もが突然仲間入りする可能性があるし、加齢していけばいつかは誰もが仲間入りするかもしれない世界だ。大事なのはたとえ脳コワさんみたいに「見えない苦しさ」であっても、大前提として人が苦しいと言っていることを「ないこと」にしないことだと思う。/その人が苦しいって言っていたら、苦しいんです!(P270)