とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

聖火はつながっているか

 先日、久しぶりに名古屋へ行く用事があり、栄のオアシスを通ったら、地下広場のステージ周りが幕に覆われていた。工事かなと思ったが、幕の下からカメラを持って覗き込む人が大勢いたので「何だろう?」と思いながら2階までエスカレーターを上がると、ステージ上に聖火トーチを持って立っている若者がいた。「ああ、聖火リレーが行われるんだ」。そう思っただけで、次の目的地に向かってしまった。時間はあったので「そのまま残って見物すればよかったな」と思ったが、後の祭り。せめて写真くらい撮っておけばよかった。

 それにしても当日は、朝、瀬戸市を出発し、春日井市を通って、一宮市と思っていたけど、その間に名古屋にも来るんだ。改めて調べてみると、瀬戸市の後に熱田神宮を走り、春日井市が終わった後は名古屋栄のオアシスで10分間走り、それから一宮市へ向かう。その後も、犬山市へ行った後、名駅名鉄百貨店前を走り、稲沢市へ行って、名駅へ戻ってミッドランドスクエア内を走り、清須市へ行って、最後は矢場町から名古屋城までって、これ絶対、聖火はつながってないだろう。

 各地での聖火リレーの出発時間と到着時間が公表されているが、例えば犬山市では、城下町入口の本町交差点を10時30分にスタートして犬山城に15時49分に到着。そして何と、次の名鉄百貨店は16時出発。確かに犬山駅新名古屋駅は名鉄犬山線で結ばれているが、最速のミュースカイに乗っても29分かかる。犬山城から名鉄百貨店まで11分で聖火を運ぶことなど絶対無理。結局、聖火リレーと言っても、リレーをするのは予め予定された区間の中だけで、各区間区間の間は特に聖火を運ぶわけではないのだ。何か騙された気分。

 昔、57年前の東京オリンピックの時は、隣町の岡崎市まで家族でリレーを見物に行った。岡崎市の東端の本宿町にある国道一号を聖火ランナーがけっこうな速度で走り去った記憶がある。まだ小学2年生だったが、こうして全国一周、聖火をつないで人が走り、最後は東京の国立競技場に着くのだとばかり思っていた。「東京オリンピック(1964年)聖火リレーの日程、総距離、走者総数は?:江戸東京博物館」「1964年東京オリンピック聖火リレーコース図:東京都立図書館」を見ると、57年前は全国を4つのコースに分けて、例えば、愛知県を通る第2コースは鹿児島から東京までをしっかり一筆書きでリレーしている。

 4つのコースの総距離は6,755km。これを4,374区間に分けて、正走者1名、副走者2名と随走者(20名以内)が走り、参加した走者の総数は10万人を超えた。しかもこの間、1ヶ月。9月9・10日にスタートして、10月7~9日に東京に到着し、10月10日の開会式で聖火台に点火された。これをクルマに頼ることなく、全て人間の力で走り切ったとは、57年前は何とすごいことをしていたんだ。

 それに引き換え今回は、人が走る区間はほんのわずか。しかも区間区間の間は、クルマでつなぐわけでもない。これって、リレーではないのではないか。単なる「聖火披露イベント」。それで、このコロナ禍に各地で人だかりを作って、感染を広げて回っている。なんてバカなことをしているのだ。そんなことなら、去年の3月20日に日本に到着して以降、大会延期もあって1年以上の期間があったのだから、各都道府県所在地に聖火展示ブースでも作って、いつでも見られるような状況にしておけばよかった。

 もっともこれは後から言えることだが、せめてクルマを使ってでも、福島県から東京まで日本一周、本当の意味で聖火リレーをしてほしかった。「福島第一原発のアンダーコントロール」に始まって、「復興五輪」とか「開催経費の問題」など、多くの嘘で固められた東京五輪だったが、聖火リレーもまた東京ウソ五輪にふさわしい「まがい物」のイベントだったとは・・・。いったいこの聖火リレーはどこにつながっているのだろう。無事、大会開催に辿り着けるのだろうか。たとえ開催されたとしても、多くの主要選手が出場辞退をし、まがい物のオリンピックになってしまうのではないか。それを象徴するような聖火リレーではないか。