とんま天狗は雲の上

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ワカタケル

 「ワケタケル」、すなわち第21代雄略天皇の物語。この小説がどれだけ古事記日本書紀をなぞらえ、また創作が加わっているのか知らない。ただ、魅力あふれる人物として描かれる。時に短慮で人を殺め、また大王になるために兄弟や従妹を容赦なく殺す。一方で常に國の安定と繁栄を求め、大王としての務めを果たそうとする。

 彼の傍に控え、先を見通し、助言する大妃ワカクサカとヰト。彼女らの助言により行動を決断し、即位し、豪族を平らげる。女性の力なくては、國はまとまらず、治まらない。そこには男女それぞれの役割がある。しかし、平らかなった後では必要とされるのはもはや男ではなく女。20年を経て、国内が安定し、さらに朝鮮への覇権や中国との関係を模索する中、ワカタケルに譲位を迫るワカクサカ。逆上してワカクサカを切り殺したワカタケルは魂を失い、ヰトの呪いを受けて、薨る。その後は何とか25代まで続いた大王の血筋もそこで途絶え、26代には遠い血縁を辿って、継体天皇の登場に繋がっていく。しかし本書ではそれをヰトの言葉としてわずかに紹介するのみ。

 ワカタケルこそ安定した日本を作った最初の天皇だった。それ以上に本書では女性の役割について描く。要所ではヰトが語る。だが、これはやはり男性から見た女性像だ。女性あっての男性。男性あっての女性。ワカクサカは安定した国家ができれば、さらに覇権を求めて海外へ進出することは無用と諫める。今の日本はどうか。グローバルな時代において、海外との関係はどうあるべきか。ワカタケルとワカクサカを見て、現在の日本を思う。必要なことをすればいい、と私も思う。中国の人権侵害を批判して何の益があるのか、と。

 

ワカタケル

ワカタケル

  • 作者:池澤 夏樹
  • 発売日: 2020/09/19
  • メディア: 単行本
 

 

○何ごとも男が率先するのはよろしい。卑俗な世事などは男に任せてかまいませぬ。/だが、本当に國生みをなしたのはイザナミであったことをお忘れなく。/ものごとを底のところから作ってゆくのは、女であります。/先の世を見通して道を示すのは、女であります。/戦の場ではせいぜい戦いなされ。…しかし、亡くなった者たちの後を満たす者を生むのは女。…ですから、あなた様も長じられた暁には夢見る力を備えた女を身近に置きなさいませ。(P023)

○「どうして人は歌を詠むのですか?」…「思いが余るからだ」と我は言った。「普段の言葉だけでは伝え切れない思いが湧く時がある。ここぞという時のその溢れる思いを後々まで忘れないように歌にする。…」/「守りの堅い館に似ていますよ」とヰトが言う。「堀を巡らし、土塁を築き、なかなか中に入れないようにする。…でもその前に白鳥を出す。聞いている者が引き込まれたところで…その障りのことを言う。それが歌なのです」(P084)

○当今、東漢氏を率いるのはサナギという男だった。…李先生が学術に長けているのに対して、サナギは実務に優れていた。國というものの経営のしかたに詳しかった。官僚の制度の作り方…産業の興しかた…税の徴収…/しかし政治の本質である権力についてサナギは何も知らない。いかに豪族をまとめ、忠誠を誓わせ、逆らう者を抑え込み…大王としての勢力の図を実現する。それは我が手の内にある。(P166)

○「私は文字というものが人と人を隔てるような気がするのです。歌はまずもって声であり響きであり、その場にいる者すべての思いです。文字になった歌はもう歌ではないような」…「國というものが文字で造られていることはわかります…文字は柱であり、梁であり、床であり、屋根でしょう…しかし私はむしろその建物の中を吹き抜ける風を待ち望みたいのです。あるいは打ち付ける雨、風景を白一色で覆う雪、壁を毀つ嵐を待ちたい。またそこに注ぐ暖かい日射しを」(P306)

○すべて今のままでよし。すべて今のままで麗しい。森羅において万象において、一つずつのものが互いに繋がることでぜんたいとして秩序を成している。この地の秩序がある以上、敢えてその上に天の秩序の網など被せる必要はありません。それがこの國。…五穀は自ずと実り、海と川には魚が跳ね、森からは獣が走り出して矢の先に倒れて糧となります。この豊穣で充分ではないのか。…異國の秩序は要らない。異國の権威は要らない。ここはここだけで充ち足りているのですから。(P348)