とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

強行開催された東京五輪を我々は楽しむことができるだろうか?

 しばらく前に、NHKのバラエティ番組「日本人のお名前」で、「映画『ローマの休日』の原題『Roman Holiday』には『他人を犠牲にして得る娯楽・利益』という意味がある」と言っていた。古代ローマで奴隷たちが死を駆けて戦う剣闘を、ローマ市民が見世物として楽しんでいたという史実に由来する慣用句だそうだ。

 先に投稿した「東京五輪は『賭け』。負けた時のセーフティネットはあるか」の前半で、「オリンピックはアスリートのために開催されるのではなく、観戦者のために開催される」ということを書いた。コロナ感染がなかなか収まらず、緊急事態宣言が延長されるという状況下においてもなお、IOCは「東京五輪は問題なく開催される」といった趣旨のことを述べている。十分なコロナ対策を取れば、アスリートも、コーチ等の関係者も、運営側の人間も、そしてメディアも、ある程度のリスクはあるものの、大規模なクラスターが発生する恐れはないと考えているのだろう。現在、世界各地で開催されているサッカーやプロ野球などのスポーツイベントでの感染状況を見る限り、そうした判断をするのは理解できる。何と言っても、彼らはオリンピックを開催することで報酬を得ているのだから、極力、開催したいし、開催できると考えるのは当たり前だ。だが我々は、こうして開催された東京五輪を楽しむことができるだろうか。

 Jリーグや欧州リーグの状況を見ても、選手やチーム関係者に一切感染者が発生していないわけではなく、時々、感染者が発生しては、しばらくの間、出場停止になっている。グランパスもGW中、フィッカデンティ監督が陽性となって、フロンターレ戦を連敗してしまった。優勝を争う2チームの首位決戦がコロナのせいで水を差された形となり、特にグランパス・サポーターにはショックだったが、同様な事態が東京五輪で発生しないとも限らない。女子マラソンの前日に突然、鈴木亜由子が感染したら! 準決勝まで勝ち上がったバドミントンの「フクヒロ」ペアが試合後のPCR検査で陽性反応が出て、決勝戦を戦うことができなくなったら!

 こうした突然の感染発覚だけでなく、先のサッカー代表戦では、海外組と国内組がホテルを分けて宿泊し、試合前の合同練習もできずに試合に臨んだということもあった。オリンピックでそこまでの規制を課すことはないかもしれないが、団体競技の場合、どこのチームも十分な団体練習ができない可能性は高い。また、18人しか選考されないサッカーでは、その中の一人二人が感染しても、大きな戦力低下は否めない。当然、試合の内容はレベルの低いものになる。そうして誕生した金メダリストを人々はどう評価するだろうか。「あの」東京五輪の金メダリストと言うのかもしれない。何より、こうした東京五輪を我々は楽しむことができるだろうか。

 東京五輪古代ローマの剣闘試合のように、死を賭けた戦いというわけではない。逆に、真の勝負からはほど遠い戦いになる。「ローマの休日」が「剣闘士を犠牲にして得る大衆の娯楽」であるなら、東京五輪は「開催国の大衆を犠牲にして強行開催された、低レベルなスポーツの祭典」として将来、語り継がれることになるかもしれない。新たな慣用句になるかもしれない。そんな東京五輪は要らない。新型コロナを克服した証としての、心から楽しめる東京五輪を観戦したい。