とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

時間は存在しない☆

 時間とは何か? 尽きない疑問だ。アインシュタイン相対性理論を唱えて以降、時間は速さと共に変化するということは理解した。しかし、そもそも時間とは何か。相対性理論量子論などの本を読んでもなお、質量や物質の存在とは存在とは別に、「時間はある」と思い込んでいた。「時間は存在しない」。えっ? 衝撃的なタイトルだ。どういうこと?

 筆者のカルロ・ロヴェッリはイタリアの理論物理学者だ。「ループ量子重力理論」の提唱者だという。解説まで読んで理解したことでは、「ループ量子重力理論」は「超ひも理論」などと並び、量子論の最先端の理論の一つだ。そして本書は、「ループ量子重力理論」の立場から「時間の問題」について考察をしていったものだと言う。

 だが、量子論やループ重力理論を何も知らなくても本書は読める。第1部は最先端の物理学の視点から時間の問題を説明する。アインシュタインも登場するが、それ以前のアリストテレスニュートンの時間理解から説いていく時間論は、初心者にも理解しやすい。しかもそこで、時間も粒子的な存在で、これ以上は短くできないという「最小時間がある」と説明される。もっともこれは「ループ量子重力理論」によればということのようだが、まずはそこでびっくり。

 時間を除く方程式は等号の前後を入れ替えることができるが、エネルギー法則はエントロピー拡大の方向にしか進まない。そこに時間とつながる秘密がある。太陽が回るのではなく、地球が回っているという事実も、そう学んだからそう理解しているだけのこと、実感としてはやはり太陽が回っている。我々は世界の実際の動きを実感することはできない。そういう存在なのだ。時間を追い詰めていくと、時間は消えてなくなってしまう。

 そこで第3章ではなぜ人間は時間を感じることができるのかを考えていく。するとそこに見えてくるのは、エントロピーが増大するという特殊な系に暮らす人間だからこそ時間を感じるという逆説的な事実。時間の源は人間にあった。

 では、時間のある世界が特別で、時間のない世界の方が一般的だということをわれわれは当然のように考えるようになるのだろうか。地球が回る世界が当たり前と考えているように。「できる」と筆者は言う。そして、生や死の意味を考える。時間のない世界ではもはや生や死も意味はなくなる。時間とともに生きること。それは結局は「途方もない贈り物」なのだと筆者は言う。物理学はいつも最後、哲学的思想に僕らを誘っていく。

 

 

○「現在」は、自分たちを囲む泡のようなものなのだ。…わたしたち人間に識別できるのはかろうじて10分の1秒くらいで、これなら地球全体が一つの泡に包まれることになり、そこではみんながある瞬間を共有しているかのように、「現在」について語ることができる。だがそれより遠くには、「現在」はない。…二つの出来事が地球とプロキシマ・ケンタウリbで「同じ瞬間に」起きたかどうかを尋ねたら、「その質問には意味がない。なぜなら宇宙全体で定義できる“同じ瞬間”なんて存在しないのだから」と応えるのが正しい。(P049)

○最小の時間は「プランク時間」と呼ばれていて…10の-44乗という時間が得られる。…この極端に短い時間では…時間への量子効果がはっきりと現れる。…時間が「量子化される」ということは…時間が連続的に継続するとは考えられず、不連続だと考えるしかない。…この世界はごく微細な粒からなっていて、連続的ではない。神はこの世界を…スーラのように軽いタッチで点描したのである。(P085)

○わたしたいがたまたま暮らしている途方もなく広大なこの宇宙にある無数の小さな系Sのなかにはいくつかの特別な系があって、そこではエントロピーの変動によって、たまたま熱時間の流れの二つある端の片方におけるエントロピーが低くなっている。これらの系Sにとっては、エントロピーの変動は対称でなく、増大する。そしてわたしたちは、この増大を時の流れとして経験する。つまり特別なのは初期の宇宙の状態ではなく、わたしたちが属している小さな系Sなのだ。(P155)

○「時間」という変数は、世界を記述するたくさんの変数のなかの一つでしかない。重力場の変数の一つなのだが、わたしたちの近くのスケールでは、量子レベルの揺らぎは認識できない。…だからけっきょくのところ、あり得るさまざまな時間ではなく、ただ一つの時間-自分たちが経験する、一様で順序づけられた普遍的な時間-について語ることが可能になる。…これが、わたしたちにとっての時間だ。時間は、さまざまな近似に由来する多様な性質を持つ、複雑で重層的な概念なのだ。(P193)

○わたしたちは時間のない世界を見ることができる。自分たちの知っている時間がもはや存在しない世界の深い構造を、心の目で見抜くことができる。…そして、自分たちが時間であることを悟り始める。わたしたちは…記憶の痕跡によって開かれた空き地なのだ。…記憶と期待によって開かれた空き地-が時間なのだ。それはときには苦悩のもとになるが、結局は途方もない贈り物なのである。(P197)