とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

女の答えはピッチにある

 2021年のサッカー本大賞を受賞した。エッセイストとあり、本書がデビュー作と言うが、次作は既に出版されているのだろうか。読んでみたいが、本書を上回る本はなかなか書けないかもしれない。それほど面白い。会社員として、既婚女性として、サッカープレーヤーとして、日々を楽しんでいければそれに越したことはない。

 「ポスト・『キムジヨン』」の代表格の一つとして、韓国で大きな話題となり、「2018年今年の本」にも選ばれたという。韓国フェミニズム本の一つとして紹介されるが、無理にそんな読み方をする必要はない。とにかく楽しい。プロローグ「私たちにはなぜ、サッカーをするチャンスがなかったんだろう?」で始まり、エピローグ「傾いたサッカー場で」にも女性に対する差別意識を指摘する記述はあるが、対戦相手の高齢男性の死去と義務的な香典を取り上げた章と大して変わらない。「ロビングシュート」の章では、中年男性のマンスプレイニングに対して、キャプテンがフェイントで欺いた末にループシュートを決める。本書の中でももっとも痛快な場面だが、たぶん韓国社会ではこんなことも多いのだろう。いや、日本も一緒かも。

 でも、それらは現実にある出来事の一つであって、仲間割れや先輩後輩関係などを綴るエピソードの一つでしかない。そう言えば、GKとしてファインセーブ後に、蹴り出そうとしてオウンゴールしてしまう話は強烈。筆者唯一のゴール(オウンゴール)だ。また、各章がいずれもサッカー関連の用語になっている点もよくできている。そしてそれにふさわしい出来事が綴られる。「追加時間」の言い方として「ストッページタイム」という表現があることは知らなかったが、そんな時こそ「どんなときよりも濃密な時間が」流れているという気持ちを表現するにはぴったりな言葉だ。

 韓国で話題になったのはよくわかる。サッカー本大賞に選考されたのもすばらしい。でもそれはフェミニズム的な観点ではなく、純粋にサッカーの楽しさを伝えたからだと思う。サッカーは、男にも、女にとっても、面白い。

 

 

○実はサッカー自体(他の競技もそうだが)、しょせんは誤解と誤解が精密に組み合わされたスポーツなのだ。…そういう面で見れば「誤解を誘うこと」こそアウトサイドドリブルの使命だ。…ピッチの上でもピッチの外の世界でも、たえまなく誤解が生まれ、誤解をし、誤解され、誤解を恨み、苦い思いを抱くが、たとえそうであったとしても、ある種の誤解は自分を一歩前へ進ませてくれる。(P070)

○憎らしいからパス出すもんかとか…そんな子供っぽいことじゃなくて…ちゃんと目を合わせられないからなのよ。…アイコンタクトしてるから、パスをやりとりする準備ができるでしょ?…アイコンタクトできてても問題でさ。…気持ちがひねくれてるから、キックしたって思っててもボールがひねくれたほうに行っちゃう。…そうすると今度は、わざと受けづらいパスを出したと思われたんじゃないかって気になるし」(P084)

○身体的条件からいって、女子が男子に比べパワーとスピードの面で下回るのは事実だ。まさにそこに、女子サッカーだけの独特のカラーがある。男子のサッカーが何かクルクルとあっという間に過ぎてしまう感じだとすると…女子のサッカーは「相対的に」ゆっくり。身体動作や展開が静的なぶん、選手とボールが作り出すサッカーの全体の「絵」を、よりクリアに見せてくれる。(P198)

○女子にもアマチュアサッカーがあるのかないのか、女子はサッカーが好きか嫌いか。そんなことにまったく無関心な社会のそこかしこで、実はサッカーにハマった女たちがプレーを始め、一緒に始めようと誘い、サッカーでケガをし、必死の思いでリハビリし、ようやくまた仲間に戻り、サッカーができなくて具合が悪くなり、サッカーを覚えるだけでは足りず審判になる準備をし、誰に命じられたわけでもないのにもっとうまくなりたいと毎日毎日練習を続けている。(P234)

○サッカーで「追加時間」を指す用語はかなりある。…そのなかで私が一番好きなのが…ストッページタイムだ。ストッページタイム。止まっている時間。電光掲示板の時計は止まっても、ピッチの上ではずっと時間が流れている。どんなときよりも濃密な時間が。…何が待っているかはわからない。…でもサッカーと一緒なら、どこでだって楽しめるだろう。なによりキム・ホンビは、追加時間に強いのだから。(P249)