とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

メールの作法とブログの効用

 数年来、週一でメール交換をしていた友人(甲)に先日、「メールがけっこうストレスなので、これからは不定期送信にする」と書き送った。その後、返事がないけど、どう思っただろうか。怒っているかな。

 甲とは同い年で誕生日も近く、同じ会社で一時、同じ課室で働いた。子会社へ出向した20年ほど前、お互いの会社での状況などをメール交換した。4年前、同時に退職した後、甲から再びメール交換の申し出があり、再開した。しかし再開してみると、20年前はあまり感じなかった趣味や思想の違いが気になってきた。最初のうちは遠慮しつつ批判もしたが、上から目線の返信メールが次第にストレスとなってきた。甲にとってメール交換はストレス解消の絶好の機会だったようだ。6月に私が仕事を辞めると、次第に他のストレスもなくなり、甲からのメールだけが辛く感じるようになってきた。悩んだが、今週ついに、冒頭のようなメールを送ってしまった。

 実は6月に仕事を辞めた直後、別の友人(乙)に週一のメール交換を提案したが、3回ほどメールのやり取りをした後、結局、私の方から中止を申し入れた。その時の経験も合わせ、なぜ定期的なメール交換が辛いのかを考えてみた。

 メールは基本的に、送り手から受け手へ一対一で送られる。内容を大別すると、相手に返事を求める質問(助言を求めるなど)と、返事を期待しない一方的な感想や意見に分けられる。いずれも、他でもない、受け手一人を対象に送られる。受けた側は、質問であれば回答をする責務を感じる。一方的な意見等は無視してもいいが、同意や反論などが期待されているように感じる。贈与と義務。すなわち、モースの贈与論である。

 この場合、メールの送り手・受け手が同格であっても、メールの送受信がされた途端、両者間には「贈与と義務」が生まれ、上下関係が生じる。送り手が「上位」で、受け手が「下位」だ。しかし、送り手の質問や意見に対して、受け手が回答や感想・意見などを書き送ると、今度は両者の関係が逆転する。いや、逆転できると期待して返事をするが、相手がどんなメールを書いてくるか気になる。そして彼から次のメールが送られてくるときにはまた再逆転している。すなわち私が「下位」になる。

 一方、友人(乙)とのメールでは、私からの近況を書き綴ったメールに対して、乙から感想メールが返ってくる。この時点では送り手は乙で、受け手は私。すなわち、乙が「上位」で私は「下位」。「質問」と「回答」という関係であれば、答えを受け取る私が「下位」になることに抵抗はないが、「近況」に対して「感想」という関係が続くと、どうして私がいつまでも「下位」に甘んじる必要があるのかと感じてしまった。

 結局、メールの送受信は必ず、贈与論による「上下関係」をもたらす。メールを書く際にはこのことをよく理解しておく必要がある。例えば、質問に対して回答をする場合、回答した時点で送り手が「上位」になる。両者がもともとそういう関係(教師と生徒など)ならいいかもしれないが、同格でありたいと思うのであれば気を付けたほうがいい。教師のように回答するのではなく、生徒の答案のように返事を返す。質問に対して回答者は提示された条件の中で自分の考えを述べるのであり、その助言を参考に、決定し行動するのはあくまで質問者。この種のことは夫婦間でもよくある。夫(妻)の相談に対して、「こうすべき」と助言すると、そのうちに「そんなことはできない。そんなことは聞いてない」と怒り出す。メールの場合は顔が見えず、時間も共有しないだけにさらに慎重な対応が必要だ。

 一方、メールに書く感想や意見は、基本的に同意してもらうことを期待しているので、否定や批判をすることには慎重であるべき。同意できなければ無視する方がいい。だが、無視を続けると、同意してもらっていると勘違いされることがある。メールを送信した時点で「上位」に立っているから、返事をしない限り、その「上下関係」は変えられない。それが今回の甲との関係につながったのだと思う。どうすればよかったのだろうか。そもそもこんなことを考えてしまうのは、献身的な割に自尊心が強すぎるからだろうか。

 できることなら、個人的な感想や意見は、特定の相手にメールで送るのではなく、ブログに書くといい。ブログで発信すれば、読み手は不特定だが、常に発信者として架空の読み手に対して「上位」でいられる。メールと同様に、感想や意見を書くことで頭の整理ができ、考えや方針がまとまることもよくある。たとえコメントがあっても、否定的なものは無視すればいいし、肯定的なコメントには謝意を示せばいい。コメントを受け取らない設定もできる。

 メールもブログも、いずれもコミュニケーションのツールだが、メールにはメールの特性があり、ブログにはブログの効用がある。それらをよくわきまえてメールやブログを使いたい。フェイスブックやラインも同様。私は利用していないが、ツイッターやインスタグラムもそれぞれコミュニケーション・ツールとしての特性があるのだろう。ブログを始めて10数年、メールに至ってはそれ以上使ってきたが、今頃になってようやくそんなことに気付いた。コミュニケーションは難しい。顔が見えないデジタル・コミュニケーションはさらに難しい。