とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

民主主義を問いなおす

 哲学者・内山節は知っていた。が、著作を読んだことはない。群馬県上野村と二地域居住をし、自然とともに生きる生活を実践している。本書は、35年以上にもわたって続けられている「東北農家の二月セミナー」の2017年の報告を書籍化したもの。2019年までの3回分が「内山節と語る 未来社会のデザイン」シリーズとして刊行され、その1巻目だ。

 「序文」に「近代社会は三つのシステムが三位一体となるかたちでつくられている。国民国家市民社会、資本主義である」(P8)と書かれている。このうち「国民国家」が当たる部分が本書1巻目のテーマだ。だが、「自由・平等・友愛」とか「民主主義」と言っても、所詮、それらは「支配の道具」にすぎないと喝破する。普遍的価値と言っても、所詮、天皇制と同じようなもの。そして経済発展をめざす生き方も否定する。「経済発展こそが地域を衰退させたのではないか」と批判する。こうした実体を先に設定し、そこからすべてを組み立てる西洋的な考え方に対して、先に「関係」があり、関係が実体を感じさせる。そうした日本の伝統的な発想こそ、今見直すべきではないかと提起する。

 それがどこまで日本独自のものか、日本礼賛になり過ぎていないかという点は検討する必要があるかもしれない。だが、こうした、言ってみれば少し天邪鬼な見方が社会のありようを見直す契機となる。面白い。2巻目は「資本主義」がテーマだ。続いて第2巻を読むことにしよう。

 

 

○強い国家があるとすれば、それは持続する国家だと思っています。持続性があるということは強いことです。…強さというのは持続性の問題なのです。/明治になって日本は富国強兵をすすめて、文字どおり強い国家をつくろうとしました。しかし…それから何十年か経つと、いっぺん日本国家崩壊という感じになりました。…それと比べると江戸時代のほうがよほど強い国家で…かなり持続性をもっていた。(P19)

○日本の場合は天皇制…を前面にだすことによって国民統合を図ろうとした。フランスなどでは「自由・平等・友愛」という理念を…イギリスでは「世界で最古の議会制民主主義を生んだ国」とか…欧米諸国でいえば、こうした「普遍的価値を共有する我々」というところに…アイデンティティを置いたわけです。同時に、それはそれに反する者たちへの弾圧を肯定する論拠としても使われ、結局支配の道具となってきました。(P47)

○どこの田舎だって経済発展はしました。…ところが経済発展をした結果として地方が衰退した。…「経済発展から取り残されたから衰退した」わけではない。「どういう経済が発展すれば地域の衰退を招かないのか」、そのことを考えなければいけない。…経済発展は、地方であれ大都市であれ、どちらも社会とか地域という点では衰退させたのだと思ったほうがよいでしょう。(P66)

○神がいるから神との関係を結んでいるわけではない…。逆に、神や仏と関係を結んでいるから神や仏はいるということです。つまり夫婦みたいなものです。夫婦という関係があるから夫とか妻が存在する。夫婦という関係がなければただの男と女が存在するだけです。…そんなふうに日本の発想は、関係が先で、関係こそすべてを存在せしめる。(P104)

○合理的な理解ではなく…どういう関係のなかで生きるか。昔の日本の発想では…目や舌によって関係が結ばれ、それが私たちに意識を与えると考えました。さらに、その奥にはすべてが結び合っている世界があると考えた。そういう関係性のとらえ方、すべてを関係でとらえることに日本の伝統的な発想がありました。僕は、そこにこれからゆっくり戻っていくのではないかと思います。(P128)