とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「勇気」って何だ?

 パラリンピックの際に、「選手から勇気と元気をもらった」というコメントがあった。元気はわかるけど、勇気って何だ? と思ってきたけれど、先日、東京五輪・パラリンピック選手団への感謝状授与式に当たり、菅首相が「皆さんの活躍は、日本はもちろん世界中の人々に勇気と希望、そして感動を与えた。歴史に残る大会だった」と再び「勇気」という言葉を使った。やはり違和感がある。

 選手ががんばる姿に「元気をもらった」というのはわかる。「自分もがんばろう」と思い、「元気」が出る。スポーツという分野ではないかもしれないが、自分も努力をすれば、何らかの成果を挙げられるかもしれない。その点では「希望」を感じる。また、「感動」は人それぞれだろうが、競技を観て感動した人もいただろう。「感動」=「善」かどうかはわからないが、感動は悪いことではない。心地良い体験だ。

 だが「勇気」って何だ。コトバンクでは、日本国語大辞典の解説として「勇ましい意気。物事を恐れない強い気力」、デジタル大辞泉では「いさましい意気。困難や危機を恐れない心」とある。「恐れず、立ち向かう気持ち」といった意味か。だが人生、恐れて逃げる方がいい場合だってある。いや、「逃げる勇気」が必要な場合だってある。まず必要なのは、合理的な思考と冷静な判断だ。その上で、明らかに実行すべきなのに、弱気な心が芽生え、決断ができない。結果、絶好のチャンスを逃してしまう。確かにそんなことは私もある。

 いざ決断すべき時に、いつも困難や不安が芽生え、逃げてしまう。そんな人が、オリンピックやパラリンピックを見て、「今度こそは勇気を出して立ち向かおう」と思い、実行したかもしれない。だが、その結果が絶対に良かったとは限らない。決断の前には常に、合理的な思考と冷静な判断が必要だ。「勇気」はむやみに出せばいいというもんじゃない。

 今回のオリンピックとパラリンピックを通じて、「勇気」という言葉を聞くたびに、「そんなに勇気を煽って大丈夫か」と思った。何か、投資やギャンブルを勧める、扇動者のようだ。