とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評issue33

 今号の特集は「フォーメーション」。近年、「5レーン」や「ポジショナルプレー」が最先端の戦略としてサッカー界を席巻している。フォーメーションでいえば、[4-4-2]から[4-3-3]や[3-4-3]、さらにグアルディオラの[3-2-5]に至っては、かつての「WMフォーメーション」の復活とまで言われ、話題となっている。オリンピック前に開催されたEUROやCLでは、多くのチームが3バックを採用し、上位に進出した。残念ながらいずれもDAZNで放送されなかったため、実際にゲームを観戦することはできなかったが、グアルディオラから始まったサッカーの改革はじわじわと浸透し、影響して、今、大きな変革期に来ている。

 「フットボール批評」ではこれまでも「ポジショナルプレー」などをテーマに特集が組まれてきたが、やはりフォーメーションに落とし込んで説明してもらうとわかりやすい。今号の記事の中では、龍岡歩の「最先端フォーメーション攻防解剖学」が、CLでのマンCとチェルシーの決勝、EURO決勝でのイタリアとイングランドの対戦を例に解説している。ベップはなぜ攻撃時に[3-2-5]となるのか。トゥヘルはそれにどう対応してきたか。イタリアの[4-4-2]は如何にしてイングランドの[3-4-3]を打ち破ったのか。これらのことがこの記事を読むとよくわかる。

 一方、フォーメーションが全てではない。V・ファーレン松田浩監督に対するインタビューでは、[4-4-2]でチームを立て直す意図を語る。しかし、こうしたフォーメーション論だけで誌面を埋め尽くすことはできない。フォーメーションを視野に少しずつ焦点をずらしつつ、各自のサッカー論が語られるのもまた面白い。何と、井筒陸也の連載では、「合コンとサッカーの共通点」について語っているが、これは「個人か、組織か」というこれもまた古典的な話題。「個人か、組織か」という点では、冒頭の河岸貴の新連載「現代サッカーの教科書」で、日本サッカーの現在地を「個人のポテンシャルを最大限に引き出すサッカーができていない」と指摘している点は興味深い。

 武田砂鉄の連載「スポーツ文化異論」も、先日のオリンピックでも感じた違和感から始まって、「星野君の二塁打」をベースに「組織の方針と個人の行動」を批評している。ここにも、今号のテーマから派生する、個人と組織の関係がある。井筒陸也が「合コンとサッカーの関係」から政治や新自由主義にまで発想を飛ばしている点も興味深い。やはりサッカーは自由で、それでいてシステマティックで、そして何より面白い。

 

 

○個人がレベルアップする必要性…を求めて海外に出て…以前より個のレベルは上がりました。/しかし、これまでの日本は「個人の能力では勝てない」という前提での組織論に終始する術しか持っていないので、皮肉なことにそのポテンシャルを最大限に引き出せないのです。(P11)

○ペップ・シティの特徴は…[4-3-3]を基本フォーメーションとしながら、ボール保持時には[3-2-5]に可変させるところにある。…トゥヘルは守備時、[5-2-3]のブロックを形成し、5レーンの優位性を最小限に抑え込むことに成功している。(P27)

○EURO2020…のトレンドは…「3バックの隆盛」であろう。…しかしだからといって3バックが4バックより優れたフォーメーションということではない。…[4-3-3]を採用したイタリアもスペインも決して安易にアンカーを落とすようなことはしなかった。…彼らは…両CBの間にGKを立たせて疑似3バックを形成するのだ。…イタリアは攻撃でも[5-2-3]で守るイングランドの弱みである中盤の[2]を狙い撃ちにしていく。(P30)

○イタリアはイングランドのGKがボールを持った時には、基本的にはプレスに行かず、一度持たせてから蹴ったボールに対して行く。しかしベップは違った。…シティはチェルシーのGKがボールを持つや、そのままボールを追ってプレスをかける。…チェルシーのトゥヘル監督は、このベップの性格まで読んで、意図的にこの試合ではGKへのバックパスを多用していた。…そこから生まれる嚙み合わせのズレがどこにあるのかまで完璧に計算していた。(P33)

○投票しても政治は変わらない。選挙があるたびに、自己の矮小さとシステムの巨大さを思い知る。自分勝手に、自分が得することだけを考えて生きていくことこそ、勝ちパターンであると悟る。新自由主義とは、そういうイデオロギーである。しかし、サッカーを見れば、その無力感が世界全体を覆っているわけではないと感じることができる。…むしろ「見えるけど見えないもの」にこそ、興味を持ちたいと思う。(P107)