とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

マチズモを削り取れ

 辞書を牽くと「マチズモ」とは「男性優位主義」とある。個人が「主義」として「男性優位」を貫くのであれば対処のしようもあるが、社会自体が男性優位主義になっていると、いろいろと生きづらい状況が発生する。本書を刊行してすぐに掲載された、筆者の「五輪強行、女性軽視…日本にはびこる『マチズモ=男性優位主義』の尋常じゃない”しぶとさ”」というコラムは、「オレがやると言ったらやる」と五輪開催を強行する政治家の言動から始まる。「絶対に負けとは認めない戦い」とも。まさに日本社会は「マチズモ」が支配している。

 「マチズモ」は社会のあらゆるところに蔓延っている。駅の通路、電車内、トイレ、結婚式、呑み会、部活、寿司屋、バー、そして社内。それらの現場を逐一取材し、掘り下げ、吟味する。確かに蔓延っている。いや、へばりついている。それを「削り取ろう」と言う。しかし相手は頑固だ。ああ言えば、こう言う。それらは時に「伝統」と言われ、「慣習」となり、「思考停止」に陥っている。一つひとつを捉えれば小さいことかもしれない。でも気になる人にはとてつもなく大きな障害であったりする。人類の半数を占める女性にとって障害であるなら、それは小さくとも大きい障害だ。

 本書を読みつつ、それはさすがに考え過ぎでは、と思わず思ってしまうこともあるが、たぶんそれは私自身が思考停止に陥っている。小さな不具合を見つけ、カイゼンしていくことは、企業では当たり前に行われていることだ。社会の「常識」を疑い、カイゼンしていこう。それでも、「痴漢がなくなれば痴漢冤罪もなくなる」「痴漢をなくせば、女性が警戒する必要もなくなる」。そんな当たり前の前で「思考停止」しているのが社会の実相だ。

 「マチズモ」のない社会は男性にとっても生きやすい。一部の男性の生きやすさの前で、過半数の人が我慢を強いられる。そんな社会はやはり早く変わってほしい。もっとも、「マチズモ」な社会にすっかり順応し、その方が生きやすいと考える女性(杉田水脈など)もいるようで、それがまたマチズモを強固にしている原因でもある。目地にこびりつく頑固な汚れは簡単には落ちてくれない。やはり地道に削り取っていくしかないのだろうか。

 

 

○痴漢冤罪もあるよ、という男の主張は、なぜ、痴漢がなくなれば痴漢冤罪もなくなるという、皆で団結できそうな目的よりも優先されてしまうのだろうか。…痴漢はよくないと思うのだから、やめさせればいい。(P039)

警察庁…の通達…に…被害者となる女性の警戒心を高めるとともに…」とあった。…おかしい。もっとも大切なのは…「加害者となる男性の邪心を抑え込む」ではないのか。痴漢をさせないようにする。それで全てが解決する。…なぜ、それをしないのか。(P052)

○こっちだって大変、という決まり文句は、…無理解の保持、あるいは培養に使われる。男と女の差異を、保持したがっているのだ。…非対称性を女性が訴えると…男性側の非対称性を持ち出し、非対称同士で争いごとを起こす構図を作り、今そこになる非対称性が維持される。「どっちもどっち」に持ち込めば、現状が維持される。つまり、男の優位が保たれる。(P71)

○社会に残存するマチズモって、「これまでもそうだったんだから、そうでなければならないと押し付ける」という行為と実に親和性が高い(P137)

○今、男性が、男性であるという理由だけで獲得してきた権威がようやくグラつきつつある。…伝統と聞けば、それにひれ伏さなければならないように思われるが、そんなに便利に使われても困る。…日本社会の男女差をめぐる思考停止…ここはこうあってほしいという領域が寿司屋に残る。(P253)

○社会の構造上の問題点を指摘されただけで、男性の自分が悪いと言われたと苛立ってしまうのは、社会は男性が動かすものだと思っているからだろうか。…私という個人は社会ではないが、社会は個人の集積である。ジェンダーにまつわる問題を前にすると、自分も含め…男性という個人の多くがバグってしまうのはなぜなのか(P306)