とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

つまらない住宅地のすべての家☆

 「ディス・イズ・ザ・デイ」津村記久子を初めて読んだ。庶民的で、でも心温まる内容はすごく心地よかった。でも、他の作品を読もうとまでは思わなかった。本書を手に取ったのは、タイトルに惹かれたからだ。「つまらない住宅地のすべての家」。それは私の職業病のようなものだ。そして再び、楽しく読んだ。先に「旅する練習」を読んだけど、それに似た簡明な文体。内容も事件の香りを漂わせながら、でも明るく、楽しい。

 路地を挟んで並ぶ10軒の家。それぞれの家には、それぞれ異なる形の家族が住んでいる。老夫婦、若い男性の一人暮らし。壮年男性の一人暮らし。60歳間近の単身女性。妻に逃げられたばかりの夫と男子中学生の家族。子どものいない40代夫婦。祖母・母・幼い姉妹の女ばかりの家族。老母と実家に帰ってきた30代男性。夫婦に子供がいる家庭は二家族だけ。だが、一家族はオタクの息子を閉じ込めようと画策し、もう一方の家族は、祖母の支配の下、家族全員が孤立感を抱えて暮らす。そこに逃亡犯が近くへ逃げ込むという事件があり、各家族から順番に人が出て夜警をする中で次第に近所同士の連携が生まれ、それぞれの家族の問題が快方に向かっていく。

 小中学生の子供たちが悩みつつ、それでも結局、彼らの行動が事件を、そしてそれぞれの家族の問題を解決へと進めていく。子供たちに対する信頼のまなざしが温かい。そして事件の究極の発端には、人を騙そうとも「必死で生きてきた」という頑なで冷徹な生き様の祖母がいた。「とりあえず、これから自分が家に帰ったら門灯を点けようと千里は思った。怒られても、それが自分のしたいことならそうしようと思った」(P212)という孫・千里の心の変化がうれしい。

 時代は良い方へ変わっていくだろうか。孤絶し凍り付いた現代家族の心は、少しでも氷解し、心温まる方向へ変わっていくだろうか。津村記久子の小説にはそんな温かさが籠っている。一時のやさしさと救いを感じ、本書を読み終えた。

 

 

○「変な家」/ノジマの言葉に、亮太はうなずく。うちの親も他人のことは言ってられないが、それはおいといてこの家は変な家だ。どこの家も大なり小なり変なのは頭でわかっていても。(P88)

○「あなたは私たちのことを非難がましく思ったかもしれないけど、この暮らしができるのは、必死に働いてきた私たちのおかげですからね」…「それと比べたら、幸せだと思わない?」…不安なのかもしれない、と千里は思う。…とはいえ、本人が幸せだと言うのなら幸せなのだろう、と千里は思おうとする。…「うまくやることよ、千里。幸せになるためには」(P152)

○「私は必死に生きてきただけよ」/答えになっていないことを言う祖母の声は、自分の意志さえあれば白を黒に変え黒を白に変えることができると信じているかのような確信で張り詰めていた。…千里は、その様子をただ脳裏に焼き付けていた。私は一人だ、と家の中で繰り返し考えるようなことを、なぜかこの場で思い出した。けれども、そう思っているのは、思ってきたのは、自分一人ではないのではないかということも悟った。(P211)