とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

コロナ後の世界

 いつものとおり、ブログや各種の媒体に発表した原稿などをまとめたコンピレーション本である。第1章は「コロナ後の世界」という見出しのとおり、今後の社会状況を予測する類の記事が多く集められている。だが、2章以降は必ずしもコロナ禍とは関係なく、国際情勢や日本の政治状況等に関する論考が掲載されている。

 また「反知性主義と時間」というタイトルでまとめられた第3章は、別途刊行されている「学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層」と「日本の反知性主義」に寄稿した論考が収められている。さらに第4章「共同体と死者たち」には、大瀧詠一橋本治加藤典洋吉本隆明に対する追悼文が収められている。これらの文章が所収されることで読み応えのあるものとなっているが、逆に言えば、それらがなければそれほど厚みのある内容にはならなかったということかもしれない。昨年も内田樹は多くの本を刊行しているので、他の本とテーマを分担したということかもしれないが。

 とは言っても、その前半部分にも随所に、内田樹らしい独特な視点や考察が見られる。下にも引用したが、「日本は『中産階級の勃興→民主化』とは逆コースの脱近代化の世界初の事例かもしれない」という指摘や「日本人は権力関係を『母子関係』でとらえる」という考察は興味深い。さらに最近の中国に対する「習近平の政権基盤がそれほど盤石ではない」(P106)という考察は当たっているだろうか。本人も必ずしも自信を持って即断しているようではないが、興味深い指摘ではある。

 いつもながら、内田樹は面白い。先に與那覇潤を読んだが、それよりもずっと読みやすいし、よくわかる。與那覇氏もこうした文章を書いてくれると助かるのだけれど。今年も内田樹は健在。日本のためにも当面しばらくは健在でいてもらわねば困る。今年も新たな論考が読めることを期待する。

 

 

○富める者と貧しい者の階級階差が広がり、階層が二極化したところをパンデミックが襲ったわけだから、本来なら社会不安が高まってよいはずなのだが、ここ数年の日本は戦後史でも稀に見るほど政権が安定している。それはなぜか。/国民が政府に不満を抱かないからである。…近代史では、中産階級が勃興すると、市民の権利意識が高まり、それが民主化闘争につながるということを教えている。…けれども、その逆を経験した国はまだない。日本がその「逆コース」の最初の事例になるかも知れない。(P50)

○民主制は市民たちに成熟を促す。…国民たちに対して、「個人の努力と国運の間には強い相関がある」と信じることを求める。国が「まとも」であるためには、国民が個人として「まとも」でなければならないと思うこと…それを民主制は国民に求める。…民主制は、システムとしてはもう出来上がっている。でも、うまく機能していない。それは「大人」の頭数が足りないからである。だから「大人」を育てること、それが喫緊の国家的課題となるのである。(P81)

○中国が王道路線を採るか覇道路線を採るかの選択には、その時点で政権がどれくらい安定しているかが深く関与してくる…。政権基盤が安定していれば、自国民に対しても、他国に対しても、寛容で融和的な態度をとることができる。…国民の反対派を暴力的に弾圧し、隣国には強硬な態度を採るのは「国内外は敵ばかり」という現状認識の帰結である。…習近平があえて覇道路線を採るのは、少しでも隙を見せたら…リスクがあるという危機感を抱いているからである。(P106)

○霊的権威としての天皇と世俗の政治権力という…二つの権力構造において、天皇は女性ジェンダー化して…人々の心理に絡みついている。だから、日本人は権力関係を…「母子関係」としてとらえる傾向がある。…戦前の国民は「天皇陛下はその赤子たる臣民を愛しくれている」と信じ、戦後の国民は「アメリカ大統領はその属国民たる日本人を愛してくれている」と信じてきた。日本国民のアイデンティティーをその深いところで支えているのは「母に愛されている」という安心感なのである。(P145)