とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

2050年のジャーナリスト

 「2050年のメディア」はとても興味深く読んだ。その筆者による似たタイトルの本というので、楽しみに読み始めた。だが、前著がノンフィクションだったのに対して、本書は「サンデー毎日」に連載しているコラムを集めたもの。他に「週刊東洋経済」と「月刊journalism」に掲載された文章が2編挟まれている。

 コラム自体は全体として面白い。前著では、紙メディアがインターネット化の中でいかに生き残るかを書いたものだが、基本的にその問題意識は変わらず、加えて、本の出版を裏側で支えている編集者やエージェントらが紹介される。一冊の本はこうして作られるのかと大いに興味を搔き立てられた。

 また、地方新聞の苦悩と努力も多く描かれている。河北新報秋田魁新報十勝毎日新聞新潟日報など。2021年に入ると五輪報道に対する批判も多くあるし、筆者がライフワークというアルツハイマー治療に関するコラムも収められている。「編集者も書き手も、サーフィンのようにテーマを乗り換えていく必要がある」(P153)と書かれているように、本書でも実に多くのテーマ、多くの切り口でコラムは書き続けられる。

 新聞社は新聞販売から有料デジタル版へ早く移行すべきという主張は当然だが、そうした新聞社に勤める記者に向けて書かれた、書名と同じタイトルの「2050年のジャーナリスト」(「月刊journalism」掲載)では、「その人でなければできないことをやっていく」ことの重要性を訴える。当たり前の話ではあるが、ジャーナリズムや文筆で食べていこうとする人は、いったい何をしたいのだろうか。絵本の優位性を伝えるコラムもあるが、それ以外であれば、紙媒体にこだわる必要はない。文章を書き、それを誰かが読むこと。その間には様々な手法や媒体、そして多くの関係者がいる。ジャーナリズムの世界は今後、さらに大きく変わっていくだろう。筆者の危機感はまだ十分、メディアの人たちには伝わっていないのだろうか。

 

 

○『三島由紀夫vs東大全共闘』という…1969年の「伝説の大討論」…が、今聞くといかにも幼稚で何も言っていないと感じた。…ああ、全共闘世代の人たちに、こういう議論でけむにまかれて、パワハラされたなあ、と思い出した。/ぱっと日の光に照らされると、魔術はとけて、「王様は裸」ということがわかるのに。/登場人物たちは、社会を変えていくのは「言葉」だという。/確かに。/しかし、それ以上に「技術」と「経済」が社会をいやおうなく変えていくということの自覚なしに、「言葉」は紡げない。(P40)

○人生には三度、絵本を読む時期があると、柳田さんは言う。自分が子どもの時、そして子育て期、さらに何かに迷った時。…柳田さん自身も、絵本によって救われたひとりだった。/紙からデジタルへの流れのなかで、唯一伸び続けている紙メディアが絵本だ。(P77)

○編集者も書き手も、サーフィンのようにテーマを乗り換えていく必要がある。/ショーン・コネリーが007の残像の中で行き詰まったように、人間はどうしても過去自分が成功したジャンルにとどまってしまう。しかし、サーフィンの波と同じで、その波はやがて凪ぐ。だから、次の波に飛び移っていかなければならないのだ。(P153)

新潟日報は夕刊を2016年11月に廃刊にし、かわって「Otona+」を創刊した。この新しい媒体は、タブロイド判で、平日は12ページ、土曜日は16ページ。/何よりも目をひくのは、フロントからの3ページをひとつの特集にあてて、それを毎日、社内外のライターが互いに競って書いていることだ。/「社外のライターの人は20人くらいいる。…様々なバックグラウンドを持つ人が、その人でなければできない特集を書いてくる。…日報の記者は負けられない」(P295)

○日本の新聞社の高給は、日刊新聞法による株の譲渡制限、軽減税率の適用、独占禁止法の適用除外などの規制によって守られてきたものでした。…そうした規制を乗り越えて、技術革新の波はやってきました。…むしろ規制は、変化への障害となっているということです。…若い皆さんは…組織が仮に駄目になっても…個人が生きていくためには、その人でなければできないことをやっていく、ということがとても重要なのです。(P329)