とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

奏鳴曲

 北里柴三郎森鴎外の伝記である。森鴎外はもちろん文豪として知られるが、同時に陸軍軍医の最高位・軍医総監にもなった。そのこと自体は知らないでもないが、ではどういう実績があったのかとなると、寡聞にして聞かない。二人は発足間もない東大医学部の同窓で、森鴎外の方が2学年上だが、年齢では北里の方が9歳上。森が1年早くドイツへ留学したが、北里がコッホ研究所で研鑽を積んでいる時に、森もコッホ研究所を訪ね、北里から実験の手ほどきを受ける。北里のコッホ研究所残留に森が一役買ったことは事実だったかどうか、わからないが、二人は若い頃から何かと因縁を持って成長と出世を重ねてきた。

 日本に戻って以降も、私立伝染病研究所、内務省伝染研究所、さらに北里研究所と、研究畑で働き続ける北里に対して、森鴎外は陸軍軍医部で着実に昇進を重ねる。「あとがき」には筆者自身「衛生学や医療に関しては『歴史其儘』、北里と鷗外の物語は『歴史離れ』」と書いているが、二人の交流や確執は実際のところ、どうであったのか。

 作品中、「ぼく」と自称する鴎外は、エリスとの恋愛など、文学青年らしい繊細さを漂わせているが、一方、北里は時に部下に対してドンネル(雷)を落とすなど、自信家で傍若無人な人として描いている。同じく医師にして小説家である海堂尊本人は、森鴎外に自身を重ねる面もあるのだろうか。必ずしもそうではないようにも思えるが、医学者として、医療が政治に翻弄される状況については、昨今のコロナ禍に対する政府の対応に対して、一言言わずにはいられないというところか。

 かなりの大部で読み終えられるかと心配だったが、途中から拍車がついて、一気に読み終えた。海堂尊の筆にかかると、こうした生硬な小説も一転、興味深く読み終えることができる。面白かった。

 

 

○五十代のフィンランドの軍医、ワルベルヒは…同時に、数冊の詩集を刊行している詩人でもあった。/ぼくは…文学の世界に目覚めて、軍医としての業務との板挟みに苦しんでいる、と苦しい胸の内を打ち明けた。/すると、ワルベルトは、神託を告げてくれた。/「詩人とは、言葉で武装する兵士なのですよ」/―軍人が、詩を書いてもいいんだ。/その考えが生まれ落ちたあの時、作家・鴎外が胚胎したのだった。(P125)

○「リンタロはわたしのプーシキンになってくれるのよね」というエリスの言葉が胸を貫いた。/ぼくが袖口のカフスの片方を外して手渡すと、エリスはぼくの指に自分の指を絡めた。/「リンタロの細い指が好き」と言って、心細げに微笑んだ。…結局は金で解決するしかないだろう、というのが閣下の出した結論だった。/ぼくは賀古に、「ドイツには行けなくなった」と書いた手紙を託した。/ぼくは、プーシキンにはなれなかった。…昼は本業に全力を投じ、夜は連載小説の翻訳と医療雑誌の紙面刷新に熱中した。そんな風にしてぼくは、胸の内に咲く沙羅の白い花を、他の色で塗り潰そうとしていたのかもしれない。/気がつけばぼくはいつの間にか、軍事衛生学を担う軍医、医事評論家、翻訳小説の連載作家という、三面の顔を持っていた。/エリスを捨てたぼくは、阿修羅になった。(P195)

○果たして北里に研究センスはあったのだろうか。/コッホに命じられた実験は徹底的にやり遂げたが、彼自身が研究方針を立てて、新たな領域に乗り出したケースはあまり多くない。…北里は衛生行政を司る医政家で…自分が慕った学究肌のコッホよりも、理念や行政政策の口上を謳い聴衆を煙にまく衛生学の聖人、ペッテンコーフェルに似てきていた。(P324)

○北里は伝研に君臨し、王侯貴族のように振る舞っていた。/魔王に諫言できる者はなく、部長クラスも北里のドンネル(雷)に身をすくませた。…北里は清濁併せ呑む医政家で、ツベルクリンや血清を売りさばく事業家になっていた。…新発見はなくなり…華々しい成果も見られなくなった。…土筆ヶ岡養生園と伝研を私物化し、格子をごたまぜにして…乱脈が生じていた。北里の周囲には、腐臭が漂い始めていた。(P389)

○日本人の学術的偉業を潰したのは、帝大と陸軍に脈々と流れる偏狭なエリート意識だった。/それを補強したのが「自由と美」を至上価値に置く鴎外だったのは皮肉である。/鷗外が「兵食検査」で米食が栄養学上で最良食とし続けた結果、日清、日露戦役で陸軍に大量の脚気患者を発生させ、多くが死亡した。…けれども鷗外本人は観潮楼では粗食を貫き、食事は白米ではなく半搗米にし、副菜は二皿と質素に徹した。(P430)

○「あらゆる点で、ふたりは対照的だったな。北里は豪壮な屋敷を立て、森は質素な家に住んだ。北里は…美食家で…森は…粗食を好んだ。森は、地上からふわふわ浮くように生き…周りの者は足を付けて生きろと忠告したが、最後まで他人の言に耳を傾けず、ひとりで逝ってしまったよ…だがふたりはどこか似ていた。…二人は死に様まで対照的だった。…結論としては、森もそこそこ頑張ったし、北里もまずまず世に貢献した、というあたりかな」(P446)