とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ノーベル文学賞のすべて

 「ノーベル文学賞のすべて」というタイトルに、その選考における様々なエピソードや選考方法とその偏りなどが紹介されていることを期待した。編著者の中心である都甲幸治が綴る冒頭の「ノーベル文学賞とは何か」でそうしたことが説明される。が、なにせ1901年から117人もの作家が受賞している。その間には、選考基準も時代によって変わるし、一概には言えない。

 そこで、都甲の文章の後には、「専門家が選ぶおすすめの受賞作家たち」、「候補にあがったが受賞しなかった作家たち」、そして「受賞が期待される作家たち」がズラッと紹介されている。その数70人。だがそれでも全受賞者の数には及ばない。2018年に受賞したオルガ・トルカチュクの名前はない。都甲以外に各作家の紹介を執筆している文学者は25名。平野啓一郎など知った作家もいるが、ほとんどは知らない。若い文学者も多い。文学部でどういう講義や研究がされているのか知らないが、日本には(も)多くの文学研究者がいるんだなあと感心する。

 下に引用したナイポールやウリツカヤの他に、オルハン・パルクやソルジェニーツィンアリス・マンロー、コルム・トビーンに興味を持った。時間があったら彼らの作品も読んでみたい。ノーベル文学賞は実にバラエティに富んだ作家にその賞を与えてきたのだなと実感する。村上春樹多和田葉子が受賞する日は来るのだろうか。世界には実に多くの作家がいて、実に多くの作品が書かれている。そのことに圧倒される。

 

 

○ノーベルの遺言には「もっとも卓越した理想主義的な作品を書いた者に与える」とある。この文言が常に問題となってきた。「もっとも卓越した」も「理想主義的な」も非常に問題含みな表現である。…理想主義という言葉を額面通り取れば、人類の理想を描く人道主義的な作品を書いている作家に限る、という解釈もできる。…実際の受賞者リストを見れば、ノーベル文学賞の選考基準は常にブレ続けてきたことがよくわかる。(P22)

スウェーデン・アカデミーは、「日本人の心の本質を表現する円熟の物語」と授賞理由を語ったが、果たして、川端の物語は「日本人の」という大きな主語にそぐうものだったのか。…今こそ、川端を「日本初のノーベル賞作家」という肩書から自由にし、クィア作家として、その作品をあらためて評価すべきではないか。性的多様性の理解がすすむ現代にあって初めて、川端の追い求めた美が見えてくることもあるはずだ。(P53)

○19世紀にV.S.ナイポールが生まれたのだったら…ノーベル文学賞を受賞しただろうか? 百年前なら辺境の地の特異で孤独な試みとして無視されたかもしれないナイポールの受賞は、揺らぎ、変わり続ける「偉大な」文学の内実を問う。彼の優れた作品と創造こそが、旧植民地に複雑なルーツを持つ豊かな文化が創造されたことの証拠である。(P97)

○80年代末から90年代にかけてしばしばニューヨークに滞在したウリツカヤは、ロシアとアメリカの文化的差異の一つを、死に対する態度の中に見出す。常に誰かの死が身近なところにあり、それを自然に受け入れるロシア人に対し、アメリカの人々は死や苦痛をできるかぎり遠ざけようとしているように見えた。この違いを踏まえた上で、ウリツカヤはニューヨークを舞台に正面から一個の死を描く。その死は、悲劇や教訓ではなく、様々な違いを携えた人々が交差する地点となっている。(P183)