とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

アーセン・ヴェンゲル自伝 赤と白、わが人生

 Jリーグが開幕し、当然のように地元のグランパスを応援した。開幕当初はガンバ、レッズと並んでお荷物クラブのグランパスだったが、ヴェンゲル監督が就任してサッカーが変わった。Jリーグでは2位まで躍進し、天皇杯を制した。しかし翌年のシーズン半ば、突如、ヴェンゲルのアーセナル移籍が発表される。グランパス・サポーターにとっては悔しい移籍だったが、アーセナルへの移籍となれば、暖かく送り出す他なかった。

 プレミアリーグのTV中継が始まったのは2007年になってから。アーセナルプレミアリーグの無敗優勝を飾ったのは2004年なので、最強のアーセナルを観ることはなかったが、アデバヨールファンペルシセスク・ファブレガス、ナスリ、ウォルコットなどが見せる華麗なパスサッカーを堪能した。いかにもヴェンゲルのサッカーだった。

 その後はマンCやチェルシー、レスター、リバプールなどもサッカーも追いかけて、楽しくプレミアリーグを観戦してきたが、最近は私生活の忙しさもあって、すっかり遠ざかっている。ヴェンゲルは2018年、アーセナルを去った。その後もアーセナルも楽しく観てはいるが、ヴェンゲルが率いていた頃の美しさと強さは見せてくれない。やはりヴェンゲルは特別だった。

 本書は、そのヴェンゲルが書いた自伝である。どこまで本人が執筆しているかわからないが、幼少時から現在に至るまで、かなり克明にその生涯とサッカーへの思いを綴っている。日本に来たのが、当時フランスを席巻していた八百長問題に嫌気が差したからだとは知らなかったが、アーセナルからの誘いはヴェンゲルにとってもやはり格別なものだった。そしてその後、プレミアリーグも変貌していくことがよくわかる。

 それでもヴェンゲルのアーセナルに対する思いは変わらない。「それはサポーターと同じだ」の一節にはグッとくる。グランパスに対しても同様の気持ちを持っていてくれれば嬉しいのだが。ともあれ、グランパスが一時でもヴェンゲルという監督を迎えて戦ったという歴史は実に誇らしい。私が今もなおサッカーを観続けているのは、ヴェンゲルがいてこそだと言える。

 

 

○両親の食堂…は、私にとっては学校のようなものだった。客の話に耳を傾け…試合分析をキャッチした。…大事なのは言葉ではなく行為である。そう教えてくれたこの場所は、私にとって、人間が集団生活についての観察眼を養うことのできる学びの場だったのだろう。(P48)

○監督の役割は、どうプレーするのが重要かと選手に理解させることだ。そのために監督は、それぞれの選手に対し、いまだに彼らが持っている子供のような部分、かつての少年の部分、または大人になった現在の部分と、様々な部分に訴えかけなければならない。/多くの場合、監督はとかく成果、勝利、反省ばかりを選手に求める。つまり、彼らの大人の部分にのみ訴えかけ、一瞬一瞬を思い切り楽しんでプレーしたいという選手の子供の部分をないがしろにする傾向がある。(P88)

○不穏な空気、選手たちの間の密談、誰それが関わっているという噂、そうしたことを前に、私がどこか無力さを感じていたのも無理はない。…モナコの監督を退き、日本へと赴いたのは、私にとって一種のセラピーのようなものであった。そして、それまでに感じていたような苦痛から解放された。(P122)

○日本を離れてアーセナルへ向かうことで、世界が変わり、クラブが変わり、文化が変わった。…ひどい噂に悩まされ、地雷にあふれた戦場を駆け抜ける日々が始まった。今振り返ると、そうした経験には意義があったと思う。私のパワーの源はサッカーへの情熱と、ある種のお気楽な無自覚だった。その無自覚があったからこそ、私は次の試合や選手たちにのみ集中できたのだった。(P161)

○毎年にようにリーグ戦もすべてのカップ戦でも優勝していたら後悔などしないのだろうか。いや違う。私たちはある特定の選手、ある決断、うまく改良できなかったテクニック面でのエラー、ハーフタイムで私がすべきだったのにできなかったアドバイス、そうしたものに対して後悔の念を抱くのである。そして私は、今でも成長するために、自分自身をしっかり見つめなおす能力を持っていたいと思っている。(P228)

○クラブとはもう関わり合いのないよう距離を置いているのだが、だからといって、クラブを熱心に追いかけ、その進化についてあれこれと思いをめぐらすことはやめられない。それはサポーターと同じだ。私はアーセナルに心も体も自分のすべてを捧げてきた。もう監督ではない今でも、私の心は常にアーセナルのものだ。いったんアーセナルを好きになると、それは一生続くのである。(P266)