とんま天狗は雲の上

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新版 大化改新

 歴史学会で遠山美都男の評価はどうなんだろう。大化の改新は、「中大兄皇子中臣鎌足が画策して起こした事件」ではなく、「軽皇子と古人皇子の皇位継承争い」であり、国際情勢ひっ迫の中、皇極天皇から孝徳天皇への初めての生前譲位を企図したものだとするその論は、素人にはかなり魅力的かつ説得力を持って感じる。また、卑弥呼は個人名ではなく、「倭国の中枢にあって特定の役割を果たした女性の一般的な呼称」という解釈も、言われてみればなるほどと思うが、たぶん遠山氏独自の見解なのだろう。

 もちろん歴史学会の中では、これらの遠山史観の弱点や誤りも多く指摘されているのだろうが、本書を読むだけではわからない。それにしても、少ない手がかりを元に、想像を重ねていくその手法はまるで推理小説のようだ。人物の名前を読むだけでもけっこう難しいが、面白く一気に読んでしまった。たまにはこうして古代の謎、歴史ロマンに遊ぶのも悪くない。

 

 

○そもそも卑弥呼とは倭国女王の個人名ではなかった可能性がある。卑弥呼とは「ひみこ」「ひめこ」の音訳であり、「日の御子」あるいは「ひめみこ(皇女・女王)」のことを指し、倭国女王の実名とは考えがたい。むしろ倭国王権の中枢にあって特定の役割を果たした女性の地位・身分の一般的な呼称と見なすべきであろう。(P27)

○文武皇統とそれを守り支える藤原氏との関係は、実際には不比等の時代に確立したものであった。それをより権威のある絶対的なものとするためには…先代たる天智と鎌足の段階にまでさかのぼる由緒深いものとされたのは当然のことであろう。…『日本書紀』の描く「乙巳の変」には天智を律令制創始者とする、この段階固有の歴史認識が刷り込まれていることを銘記しなければならないであろう。(P118)

中臣鎌足は、河内・和泉に割拠する配下の同族を通じて和泉国和泉郡に宮をもつ軽皇子に早い段階から奉仕していた。…そして…クーデターに参加したことが明らかな人物…関与したことが推定できる人物、そのほとんどが和泉国和泉郡やその周辺地域にそれぞれの拠点や勢力を有し…ていた。…クーデターは軽皇子を中心に彼の周囲に結集していた勢力によって断行されたのである。(P228)

中大兄皇子は…クーデター派内部で蘇我氏権力の転覆という軍事目標を達成するための現場指揮官としての役割を期待されていたのである。中大兄はあくまでも「王」としての皇極女帝と軽皇子を守って戦う立場にあったと言えよう。(P288)

○皇極女帝の企図は舒明の遺志を継いで敏達統によって王位・王権の独占を実現することにあった。…敏達統のなかでは…古人大兄が最有力であったが…軽皇子と彼を支援する勢力は、武力に訴えてでも古人大兄の即位を阻止しようと計画…。古人大兄の異母弟であった中大兄皇子は、将来における自身の即位の可能性を担保するためにも叔父軽皇子の行動に加担する道を選んだ。(P316)

○激変する国際情勢に対応し、国内の支配者層を強力に結集できる人物の大王擁立は支配者層全体の望むところであった。…従来ならば大王崩御にともなって生ずる長期に及ぶモガリという権力の空白期間が障害となった。しかし、生前譲位が実現するならば、それを一挙に圧縮・解消することが可能になる。「乙巳の変」を契機に実現した史上初の生前譲位は国際危機に即応できるスムーズな代替わりを企図したものにほかならなかった。(P321)