とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

現代思想入門

 今年の春に発行された時、けっこうな話題となっていた。でも、千葉雅也って誰だ? それで、千葉雅也と國分功一郎の対談本である「言葉が消滅する前に」を先に読んでみた。でも、千葉がどうやら同性愛者だということ以外、あまりよくわからなかった。それで本書にもなかなか手が出なかったのだが、読んでみたら、話題になる理由がよく分かった。「はじめに 今なぜ現代思想か」が非常にわかりやすい。気楽な文章で書かれている。

 本書では、フランスの現代思想であるデリダドゥルーズフーコーの思想を、ごくごく簡単に説明をするのだが、それがわかりやすい。現代日本人の気分になぞらえて解説してくれる。そして第4章以降、彼らの源流となるニーチェフロイトマルクスを説明し、さらにラカンルジャンドルを説明する。さらにはレヴィナスマラブー、メイヤスーについても紹介する。現在は、現代思想からさらにその先、ポスト・ポスト構造主義の時代に入っている。

 入門書として、彼らの著作も紹介するのだが、中高校生で本書を読んだら、その道へ進もうとするだろうか。その意味では若い人たちに向けた入門書である。付録の「現代思想の読み方」も面白い。レトリックや固有名詞を無視して、必要な情報だけを取りだす方法。4つの文章に即して、大胆に簡約する。なるほど。

 でも、たぶん高齢者となってなお、これから現代思想の本を読もうとは思わない。現代思想、それはまさに今を生きる人たち、未来を生きようとする人たちのための思想、人生の道しるべなのだ。「おわりに」で千葉自身が、本書を書こうとした動機を書いている。自分の現代思想理解は「『飽和』し…もうこの先大きく変わることはない。…理解がもう固まって…限界でもあり…諦めなのです」と綴っている。何か気持ちはよくわかる。時代が移り変わる中で、人の生き方も変わっていく。現代思想といってももはや1980~90年代に展開された思想なのだ。だからこそ筆者もその先を模索している。時代は流れ、変わっていくのだ。

 

 

○今なぜ現代思想なのか…。現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、…何か問題が起きたときに…その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向にいくのが常です。…そこで、現代思想なのです。/現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。(P12)

○人は、物事を先に進めるために、他の可能性を切り捨ててひとつのことを選び取らなければなりません。しかしそのとき、何かを切り捨ててしまった…忸怩たる思いが残るはずです。…そうした未練こそが、まさに他者性への配慮なのです。…人は決断せざるをえません。…未練込みでの決断という倫理性を帯びた決断をできる者こそが本当の「大人」だということになるでしょう。(P51)

○人間は他の動物と違い、過剰さを持っています。…だからこそ逸脱が生じるわけなのですが、それを可能な限り…整序して…安心・安全な社会を実現していくというのは、言ってみれば人間が疑似的に動物に戻ることに他なりません。…フーコーは、人間がその過剰さゆえに持ちうる多様性を整理しすぎずに、つまりちゃんとしようとしすぎずに泳がせておくような社会の余裕を言おうとしている。(P101)

現代社会において大規模な生政治と、依然として続く心理的規律訓練がどちらも働いているのだとすると、…自分自身に対してマテリアルに関わりながら、しかしそれを大規模な生政治への抵抗と…する、というやり方がありうるのだと思います。/それは新たに世俗的に生きることであり…世間の規範からときにはみ出してしまっても、「それが自分の人生なのだから」と構わずにいるような、そういう世俗的自由だと思うのです。(P106)

○ひとつの身体が実存する。そのことに深い意味はない…身体の根底的な偶然性を肯定すること、それは、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組むことである。…世界は…散在する問題の場である。…それは世俗性の新たな深さであり、今ここに内在することの深さです。そのとき世界は、近代的有限性から見たときとは異なる、別種の謎を獲得するのです。(P213)