とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評 issue37

 今号の特集は「[プレーモデル][プレーコンセプト][プレースタイル]を再定義する」。多くの記事で「○○さんはこれらの言葉をどう定義していますか?」と聞くのだが、正直、読めば読むほど混乱する。そもそも私自身がこれらの言葉についてしっかりとした定義を持っていないことが原因かもしれないが、記事によって、答える人によって言葉の定義が揺れ動いているように見える。でもどうやら、何となく感じたことは、「個人としてどうプレーするか」「チームとしてのどうゲームを作るか」「クラブとしてどう運営していくか」、それらの主体と目的や意図が入り混じって、これらの言葉の混乱が起きているように見える。で、結局、どれがどれを指すのか。「流行りの横文字にだまされるな」ではなく、間違わないような言葉遣い、いっそのことちゃんと日本語で新しい言葉を創ったらどうか。それを本誌が主導して提案したらどうか。「混乱」を指摘するばかりで「再定義」できていないと感じた。

 そして相変わらず、これらの記事がつまらない。それはたぶん、私がサッカー誌に求めているものと、本誌が提供しようとしているもの、本誌が対象とし、実際に読んでいる読者と私がズレているからではないか。私は単にいちサッカーファンとして、サッカーを通じて、世界情勢や政治なども含めて、様々なことが楽しめればいいなと思っているが、本誌は頓に最近、組織経営やマネジメントに重点を向けているように見える。サッカー界の隆盛と言ってもいいが、「いかに強いチームを作るか」「いかに選手を育てるか」「サッカー経営を成立させるか」、それも重要な視点だとは思うが、退職したただのサッカー愛好者には、イマイチ面白くない。

 今号でいえば、龍岡歩のレアルマドリードを扱った記事は興味深い。すなわち、プレーモデルを置かないレアルこそがCLで優勝したという内容。また、西部謙司の「中堅国の戦い方最前線」も純粋に最近のサッカー戦術を語っていて興味深い。それに引き換え、「現代サッカーの教科書」の何とつまらないことか。

 ということで、W杯直前で悩んだが、本誌は今号で購読を止めることにした。それでも良質な連載記事は多く、それらが読めないのは寂しい。いつかそれらの記事が単行本となって発売されたら、まとめて読みたいとは思う。それを楽しみに、しばらくは純粋な観戦者になろう。長い間どうもありがとう。

 

 

○レアルは得点の取り方、試合展開においても極めて再現性が低い。彼らの試合で見えてくるのはむしろ相手のプレーモデルのほうである。レアルと対戦することでそのチームの強みと弱みが見えてくるような作用を引き起こしている。相手の強みで失点することも多々あるが、それ以上の得点で相手の弱みを突いて力技でもぎ取っていく。…無色ゆえに最強、昨季のチャンピオンズリーグから見えてきた一つの潮流である。(P69)

○強豪国の戦術は大枠でどこも似ている。ボールを保持して押し込み、失っても敵陣で直ちにプレスして奪い返す。なるべく多くの時間を敵陣でプレーしようとする。濃淡はあるものの基本的に狙いは一緒だった。…GKを組み込んだビルドアップの向上によって、強豪相手にハイプレスで奪う守備は無謀でしかなくなった。中堅国はそのためハイプレスを諦めて次善策として5バックに移行したわけだが、強豪同士でも事情はさして変わらない。(P73)