とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

それでも世界はよくなっている

 タイトルに惹かれて借りたが、小学生向けの児童書だ。「人はやさしさと共感と希望にみちている」という第1章に異論はない。第2章以降、政治、環境、医療、平等、芸術について、「悪いニュースばかりだと思うかもしれない」でも「少しでも良くなる方向でがんばっている人がいる」「ちょっとずつでも世界は良くなっているよ」と具体的な事例を挙げる。そして子供たちに、前を向いて進むことを促す。

 それがけっして悪いわけではないのだろう。でも、例えば地球温暖化について、フェイクニュースを紹介しつつ、「でも多くの意見がそれを支持している」ことをもって、「じっさいにはそうではない」と一刀両断する。それって正しいことだろうか。不平等の問題や貧困の問題に対して、さまざまなNPOや個人の活動を紹介する。そうした活動自体は悪いことではないだろうが、「みんなもそれを支持しよう」「自分たちも何ができるか考えよう」と書かれると、これって「プロパガンダじゃないのかな」と思う。

 最後の「訳者あとがき」で、ウクライナ紛争のことが書かれている。「ある小さな国が隣の大国に突然侵攻されました」。確かにそうだけど、侵攻される前のことは何も考えなくていいの? その小さな国に大量に武器を送り込んでいる大国のことは書かなくていいの?

 児童向けにこうした本を出版するのは、いいことなのかもしれない。でも幼気な、無邪気な子供たちを、一方的な独断でリードしようとしているように感じる。単に私が「それでも世界はよくなっている」と慰めてもらいたかっただけなのに。本当に世界はよくなっているのだろうか。読みながらふつふつとそんな疑問が湧いてきた。

 

 

○お話、つまりストーリーこそがニュースの正体なのだ…そこがニュースの大事なポイントなのだ。つまりおもしろいことを話すのがニュースだってこと。…だからこわい話ばかりが目について、よい話はあまり聞かないんだね。この本は、あまり耳にしないグッドニュースを集めた本だ。よい話はこの世に存在する。…よいニュースを聞けば、この世界はほんとうにすばらしい、そんな世界を守ってゆくためにきみも何か役目を果たさなくちゃと思うはずだ。(P7)

○毎日の暮らしが、●共感と/●やさしさと/●創造性と/●他人への理解にあふれているように。/日々の小さな変化から、とてつもない大きな変化まで、すてきなことを実現させるのはこういうものが必要なのだ。(P42)

○世界には難題が数えきれないほどあり、ニュースを見ると最悪なことだらけって感じだ。けれどニュースは大切な仕事をしている。…解決しなくてはならないことをすべて知らせてくれているのだから。…この問題に取り組んでいるよい人たちがいる…かしこくクリエイティブで心の広い人たちがたくさんいるおかげで状況はしだいによくなっている。(P118)

○不平等は改善されている。ただ、時間がものすごくかかり、改善のしかたもゆるやかなので、注意して見ないと気がつかないのかもしれない。けれど、大切なのはそんなゆるやかな改善だ。…まずはよいことが起きていると認めることが改善への第一歩だ。…大きな変化は私たちの声が集まったときに起こっている。(P141)