とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

死刑について☆

 先に「『死刑ハンコ』辞任騒動に対する違和感」という記事を書いたが、この騒動は、死刑制度について考える非常に良い機会だったと思う。だが、結局、それは辞任ドミノへと政治的に費消されただけに終わってしまった。

 平野啓一郎は、その初期に何冊か本を読んだことがあるけれど、非常に文章の巧い人だという感想は持ったが、小説の内容自体には共感するものは少なく、結局、その後は彼の小説を読むこともなくなった。最近、ツイッターを始めてみると、平野氏のつぶやきを読む機会が多い。そして共感する内容のつぶやきも多い。本書はそのツイッターで知ったのが最初だったか。その後、新聞の書評でも読んだ。筆者自身が、死刑在置派から廃止派に変わっていったと言う。どういうことか。期待して本書を手に取った。

 弁護士会での講演をベースに、加筆修正して書き上げた本だという。全体として非常に冷静に、かつ論理的に、しかも体験を踏まえて、感情的にも共感できる内容で書き現している。そもそも文章が巧く、構成もしっかりしているので、その内容をとてもよく理解できる。死刑存置派への理解から始まって、死刑廃止派の「正しい理屈」への心情的な忌避感を語り、そこから如何に廃止派に転じていったかを、経験的に、かつ論理的に記している。

 被害者の遺族と多く接触したことが大きいのかもしれない。被害者の思いは憎しみだけではなく、そのケアこそ大事だと言う。また同時に、加害者の生育環境にも思いを派す。そして我々はこの国を、「憎しみ」で連携する社会から、「優しさ」を持った社会にしなければいけないと説く。「そんな甘っちょろいことを」と死刑存置派は言うかもしれないが、結局は我々がどういう社会に身を置いて生きていきたいかということに尽きる。死刑のない社会、犯罪のない社会、そして万一、身内が理不尽な死を迎えても、その悲しみを温かい涙に変えられる社会であってほしいと願う。

 その意味でも、本書の後段、日本における、①人権教育の失敗、②勧善懲悪型物語の影響、③死に謝罪や責任を取る意味を認める文化、を提示していることの意味は大きい。さらに2000年以降の格差社会と自己責任論。個人の生よりも公益を優先する考え方も日本の社会を歪め、死刑制度の存続に違和感を感じない状況になっていることを指摘する。今の日本社会はどうやら、古来からの優しさに満ちた社会とは、まったく別物の社会になっているようだ。

 どうすればもっと生きやすい、万人にとって、生きて楽しい社会にすることができるか。もう一度、よく考えてみる必要があるようだ。死刑制度を考えることはそのとっかかりになるかもしれない。

 

 

○劣悪な生育環境に置かれている場合だけではなく、加害者が精神面で問題を抱えている場合もあります。本来なら、そういう状況に置かれている人たちを、私たちは同じ共同体の一員として、法律や行政などを通して支えなければならないはずです。…放置しておいて、重大な犯罪が起きたら死刑にして、存在自体を消してしまい、何もなかったように収めてしまうというのは、国や政治の怠慢であり、そして私たちの社会そのものの怠慢ではないでしょうか。(P36)

○刑罰を科す側と化される側を比べた場合、やはり、刑罰を科す側は倫理的に優位に立っていなければならないでしょう。…もし、一市民より国家の方が倫理的に劣っているのに、刑罰もしくはペナルティを科すことができるとしたら、それは独裁体制などの政治体制をとっている場合です。…あくまで私たちは、人を殺さない社会であり、人を殺さない、命を尊重する共同体の一員であるということを絶対的な規律として守るべきではないでしょうか。(P41)

○死刑によって、その恐怖から相手に心を入れ替えさせよう、という発想は、本当に正しいのでしょうか? 自分の死が怖いということと、相手の死がどうだったのかということとは、交換可能ではありません。自分が死刑によって絶命するならば、もうどうだっていいと考えることもあるでしょう。もちろん死刑囚の中には、自分の犯した罪に対して、真剣な反省を重ねる人もいます。しかし、それが本当に死刑の効果なのかどうかは、検討すべきです。(P53)

○そもそも、被害者に対するケアという視点が、この国ではとても弱いと感じます。…殺された人はけっして生き返りません。…だからこそ、被害者の方々への精神的なケアや生活の支援は、絶対に必要なことです。…被害者へのケアを重視することで、被害者の側の思いや考え方にも変化が訪れるかもしれません。逆にいえば、被害者へのケアが不足していては、死刑を廃止する方向に議論はなかなか進んでいかないと思います。(P61)

○人間に対する優しさという、とても単純だけど、大切な価値観が社会に浸透していくことで、孤立し困窮している被害者を社会で包摂し支えていくことが進んでいくのだと考えます。/その発想を持つことが、加害者の置かれてきた劣悪な生育環境などにも目を向けていくことにつながっていくはずです。劣悪な環境に置かれている人たちへのケアという発想が生まれれば、犯罪の加害者となってしまうのを未然に防ぐこともできるでしょう。(P102)