とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

べつに怒ってない

 毎日、平凡に過ぎていく。特に退職して以降は、毎日・毎週。ほぼ同じルーチンで1日が過ぎていく。でも、外観的には同じようなことしかしていなくても、毎日違うことを考えている。同じことを考えていることもあるけど、自分の中では変化している。人は1分の間にどれだけのことを考えているだろうか。いや1秒の間でも実に多くのことを思い、考えているだろう。

 そんな日常の中で何気なく考えていること、感じたこと、思っていることを色々と書き出す。「そうそう、僕もそう思っていた」「いや、それってけっこう大事だよね、今まで口に出したことはなかったけど」なんてことが次々と書きしたためられている。

 でも、筆者のツイッターを見ると、けっこう、マスコミや政権側の報道に対して、辛辣な、いや真摯な疑問や感想が書き込まれている。時代や流行を追いかけるのではなく、自分を大事にして、素直に感じ、考える。そのことの重要さを思い知らされる。面白い。筆者にますます親近感を持ってしまった。

 

 

○みなさんは、あっちから知り合いが歩いてきたと気づいたとき、その時点で、手を振るなどして、気づいたと知らせるタイプだろうか。それとも、本当は気づているのにギリギリまで知らせないタイプだろうか。…みなさん、どうしているんだろう。そう聞いてみるけど、答えはいらない。答えが出せずに悩んだままでいてくれると嬉しい。消極的な対応を基準値にしたい。(P18)

○子どもの頃から今に至るまでずっとそうなのだが、「マニアックな自分でいたい」という欲求がある。「みんなが選ぶほうではないものを選ぶ自分」と言い換えてもいい。「えっつ、武田、そっちなの、普通はこっちでしょ」と言われると、ちょっと嬉しいのだ。/ところがこのところ、世の中を分析する人たちのテクニックが向上し続けており、「みんなが選ぶほうでないものを選ぶような人にはこちらをどうぞ」との案内が丁寧に行われるようになった。私はその度に思う。「いや、そういうことじゃないんですけど」と。(P42)

○扇風機売り場を覗くと、五歳くらいの子どもが、扇風機と向き合って…徐々に近づいていき、「ああああーー」を始めた。あれはまだ健在であるのだ。親がかけ寄り、「危ないからやめなさい!」と叱っている。よかった、この光景、まだあったのだ。…人数は減っているかもしれないが、今もまだ、子どもは扇風機の前で声を出している。特に受け継ぐつもりはなくても、着実に受け継がれているのだ。(P124)

○迷惑メールを削除しようとしたり、使わないアプリケーションを整理しようとしたりすると、画面上に「本当に削除しますか?」と出てくる。…削除したいオマエの気持ちは本当か、と問われる。そう聞かれると、そこまでではないかも、と思う。…「本当に私のこと好き?」との問いは多くの人を困らせてきた。「本当に削除しますか?」と問われるのも困る。気持ちの度合いではなく、これを削除するとどうなっちゃうのかを知りたいのだけれど、まずは本気かどうかを問うてくる。(P195)

○「したこと」の量よりも、「しようと思ったけどできなかったこと」や「なんかよくわかんないけどひとまず考えてしまったこと」のほうが多いはず。日々生きていく上で、そっちのほうを大切にしているのだが、皆さんはどうなのだろう。…人によってはつまらなそうに見えるかもしれないけれど、頭の中では色々と考えている。予測したり、夢想したり、分析したりしている。具体的な行動としては起こしていなくても、頭の中は自分なりに豊かである。(P222)