とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

からだの美

 「外野手の肩」「ミュージカル俳優の声」「棋士の中指」「ゴリラの背中」・・・。さまざまな人や動物のからだの一部を取り出し、その心象風景を描いていく。2020年から2021年末まで、16回にわたって文藝春秋で連載したエッセイを収録したもの。エッセイは全部で16編。

 「バレリーナの爪先」「卓球選手の視線」「フィギュアスケーターの首」「ハダカデバネズミの皮膚」・・・。取り上げる「からだ」の持ち主は実にさまざま。野球のイチロー将棋棋士羽生善治、卓球の石川佳純フィギュアスケート高橋大輔・・・などの著名人もいれば、東アフリカに生息するハダカデバネズミを取り上げたかと思えば、ゴリラは京都市動物園の雄ゴリラのモモタロウのようだ。

 「力士のふくらはぎ」「シロナガスクジラの骨」「文楽人形遣いの腕」「ボート選手の太もも」・・・。それらの文章はいわゆる「習作」のようだ。小川洋子の小説のどこかで、これらの文章が使われていてもおかしくない。いや、ひょっとすると、小説作品の始まりのタネかもしれない。もしくは小説になり切れなかった素敵な文章を集めたもの?

 「ハードル選手の足の裏」「レース編みをする人の指先」「カタツムリの殻」「赤ん坊の握りこぶし」・・・。それにしてもさすがに小説家。文章が巧いなあ。そういえば小川洋子の小説って、からだの描写が多かったような気がする。また小説の中でこれらの描写に出会いたいナ。

 

 

○元々バレリーナとは、閉じ込められた人なのだ、と思う。至高の美を表現するため、本来ならありえない体に、閉じ込められている人。踊ることに必要なもの以外、すべてを惜しげもなく切り捨ててゆくと、ある瞬間、凝縮が極まり、真空になり、反転が起こる。拘束を突き抜けた先に、重力から解き放たれた世界が現れ出る。そうでなければどうして、あんなにもやすやすと回転したり、ふわりと宙に舞い上がったりできるだろうか。(P036)

○大夫は、声の変化で役を演じ分けるのではなく、あくまでもその人物の心を表現するらしい。つまり観客は、太夫の語りを頼りにしながら、役の声を自らの内側に発し、それに耳を澄ませている、ということになる。/人は、そこにないけれどある、ものに出会った時、より静かに心の目を見開く。人形遣いの隠れた腕は、ないけれどある、という矛盾をいともやすやすと乗り越え、現実よりももっと切実な真理を浮き彫りにする。(P086)