いま日本が直面する人口減少という問題について、社会学者の遠藤薫氏を中心に、さまざまな分野の研究者が集まり、分担して執筆した論文集。序章と第1部で人口問題を俯瞰した後、社会科学の視点、医療の視点、テクノロジーの視点と、さまざまなの分野の研究者がそれぞれの研究内容を披露する。
社会学的視点からの論考は面白かったが、医療やその他の視点からの論考は専門的すぎて、なるほどとは思うものの、それが即、人口減少問題への処方箋となるわけもなく、ただページをめくるばかりとなってしまった。特に、私の専門に近い「こども施設」(保育園などのケア施設と学校などの教育施設)に関する論考は、理解はするが、ついついページを送る手も早くなり、流し読みになってしまう。
それよりも興味を惹いたのは、本書が日本学術会議の検討委員会での議論をベースに執筆されたという点。日本学術会議は、先の任命拒否問題がある前には、どんな活動をしているのか全く知らなかった。ただの懇親会か、とさえ思っていたが、専門的かつ学際的な議論をしていたのだなあと認識した。ただ、ここまで網羅的だとやはりわかりづらい。この委員会での議論が、それぞれの専門分野での研究に深みと刺激を与える契機となり、それぞれの研究者から新たな社会提言が生まれることを期待したい。そんな本を読んでみたいと思う。
○現代社会が直面している少子化という事態も、経済活動にともなって生命領域に生じた外部不経済のひとつではないか…。たとえば、就労という経済活動は、家事・育児の時間や労力と競合している…子どもの減少は将来の労働力低下を通して社会全体に不利益を与えるし、…生まれなかった子どもの生存の機会や権利が奪われる…/問題はこれらの不利益はいずれも将来に属し、また定量化も困難で、ときに不利益が存在すること自体が気づかれていないという点である。(P40)
○現在は「ケアの脱家族化」、すなわちこれまで家族に集中してきたケア負担を国家、市場、コミュニティなどのさまざまなセクターが分担する仕組みを作ることが課題である。…生きやすいと感じられる社会が人間が持続可能な社会なのだということを判断基準に、日常生活の隅々にはたらく制度や慣行の全面的な見直しを進めることが、「生」と「ケア」の社会への再包摂につながるだろう。(P114)
○ベネディクトも、日本の「家族主義」を、結局、家長としての男性が、目下の者に犠牲を強いる仕組みであって、家族の結びつきを重視した家族主義ではないと明言している。1970年代以降広がった日本の男性の長時間労働は、南欧の「家族主義」の社会なら直ちに拒否されただろう。長時間労働で家族との生活が送れなくなるような状況になったら、男性たちは仕事よりも家族を選ぶのではないかとさえ思う。(P162)
○長期的に、人口動向が持続可能な範囲で推移するには、女性たちにも男性たちにも、高齢者にも若年層にも、誰にとっても、この社会は、自分たちと愛するものたちにとって「生き心地の良い」場所であり、生きていることの充実感を感じ取れる場所である、ということである。生きることがざらざらとした感触のものであるとき、「生む」「生まれる」「生きる」という根源的な事態がまさにためらわれてしまうのではないか。(P299)
