とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

J1リーグ第13節 川崎フロンターレ対浦和レッズ

 水曜日にACL出場で1ゲーム消化が少なかった4チーム同士の対戦があった。アントラーズがガンバに勝利して首位に浮上。一方、このところ不調のレッズはフロンターレに1-4で完敗した。このゲームをDAZNで観戦した。フロンターレはいつものベストメンバー。阿部浩之をワントップに登里と小林悠が左右に張る4-2-3-1。一方のレッズは何と4バックの布陣。槇野と遠藤のCBに左SB宇賀神、右SB森脇。阿部勇樹がアンカーに入って左SH関根、右SH駒野。柏木がトップ下に入って、興梠とラファエル・シルバの2トップだ。

 序盤レッズが攻め込んでCKを得るが、フロンターレが守り切ると、次第に押し返し、ゲームは互角になる。10分、OH中村憲剛のCKにCBエドゥアルドがヘディングするも、枠を外す。しかしその後はフロンターレが狭い局面で人数をかけてダイレクトにパスを回していく。そして16分、CBの間に入った右SH小林悠にCF阿部浩之の縦パスが入る。小林がうまく前を向いてシュート。フロンターレが先制点を挙げた。

 レッズも22分、CB遠藤の縦パスをFWラファエル・シルバが落とし、FW興梠がミドルシュート。ポスト右に外す。24分、FWラファエル・シルバミドルシュートはGKチョンソンリョンがセーブする。すると29分、今度はCH大島の縦パスからOH中村憲剛がスルーパス。やはりCBの間。CF阿部浩之が抜け出してシュート。フロンターレが追加点を挙げた。レッズは慣れない4バックで、CBの間への対応が不十分。

 それでも31分にはFWラファエル・シルバが仕掛けて、右SBエウシーニョが止めたこぼれ球を左SH関根がミドルシュート。35分、左SH関根の縦パスからFW興梠がシュート。GKチョンソンリョンがセーブ。38分、柏木のFKはわずかにバーの上。前半は2-0。フロンターレのリードで折り返した。

 4バックがうまくいかなかったレッズは後半頭に宇賀神に代えてFW武藤を投入。いつもの3-4-3の陣形に戻す。フロンターレも後半頭から左SH登里に代えて長谷川を投入した。3分、CH柏木のCKからCB遠藤がヘディングシュート。6分、右CB森脇の縦パスから右FW武藤がシュート。GKチョンソンリョンがセーブする。8分、FKから右に展開。右WB駒井のクロスにGKチョンソンリョンが飛び出してパンチング。こぼれ球をCFラファエル・シルバがシュートを放つが、GKチョンソンリョンがナイスセーブ。レッズの攻勢にフロンターレがしっかりと守る。

 この時間帯、阿部浩之が左SHに下がり、長谷川がCFに上がる。18分、右WB森脇のアーリークロスに左FW興梠がヘディングシュート。しかし枠をとらえられない。20分過ぎ位からフロンターレ小林悠をワントップに上げ、長谷川のポジションを右SHに下げる。その後はしばらく膠着状態が続く。22分、レッズはCFラファエル・シルバに代えてFW李忠成を投入。興梠をCFに上げる。

 26分、CHエドゥアルド・ネットがドリブルで持ち上がり、スルーパスにCF小林がシュート。しかし右に外す。両チームとも、暑さのためか疲れが目立つ。そして28分、レッズはCH柏木のCKに左CB槇野がヘディングシュート。これをねじ込み、レッズが1点を返した。しかし31分、フロンターレ中村憲剛に代えて家長を投入してゲームを落ち着かせる。そして37分、GKチョンソンリョンからのゴールキックをOH家長がヘディングで前に送ると、走り込むCF小林に対してCB遠藤が後ろから押し倒してしまう。一発退場のレッドカード。そしてPK。これを小林悠が確実に決めて、フロンターレが突き放した。

 レッズは阿部勇樹をCBに下げて対応するも、中盤の守備が手薄。すると右SH長谷川がドリブルで駆け上がり、そのままミドルシュート。これが決まり、フロンターレがダメ押しの4点目を挙げた。レッズは43分、膝を蹴られて痛みを訴える李忠成に代えてCH青木を投入。しかし遅過ぎた。フロンターレも左SB車屋に代えて田坂を投入。守りを固める。44分、CH柏木のフィードからFW武藤がヘディングシュート。しかしGKチョンソンリョンがキャッチ。フロンターレアディショナルタイム4分、OH家長がミドルシュートを放つが、GK西川がキャッチ。そしてタイムアップ。フロンターレが4-1。快勝した。

 何といってもレッズの4バックが機能しなかった。奇策に溺れて敗戦を呼び込んだ。一方のフロンターレはパスもよく回り、ゼロトップの阿部浩之中村憲剛らが気持ちよく走り回って4得点。順位も5位に上げた。首位アントラーズとの勝ち点差は4。十分優勝を狙える位置にいる。内容もよくなっている。次のサガン戦も気持ちよく勝利を重ねていきたいところだ。

社長に振り回されて

 再就職して1ヶ月が経とうとしている。あいさつ回りもひと段落して、いよいよ仕事と思うが、親会社からやってきた定年退職者の仕事といっても大した業務があるわけではない。それでも就職して長くこの会社で働いているベテラン社員などに話を聞いて、自分の役回りなどを確認していく。どうやら前任者は多くを正社員に任せて、なるべく静かにしていたらしい。それで回っていくのならいいが、私の性格の問題もあり、なかなかじっとしていることができない。それで色々なところに顔を出し、みんなの話を聞いていると、どうやらこの会社の問題点の一つが社長にあるらしいことに気付いた。

 社長は私とは別の大会社から3年前にやってきた方だが、これまでもかなりワンマンに従来からの慣習などを打ち破ろうとしてきたようだ。それ自体は必ずしも悪いとは言えないが、どうもそのやり方が一方的・高圧的で社員の反感を呼んでいる。例えば、社員目線からの業務改善提案をしようということで始めた環境整備運動では、社員提案を5点以上と強制的に義務付け、この解決をまだかまだかと迫る。接客マニュアルの作成を提案し、女性職員を集めて自ら作成した案に対する意見を集めて、決定の上、周知する。もう少し丁寧なやり方、社員の発意を大事にする方法があるのではと思うが、じっくり社員意見の醸成を待つことなく社長意見を提示するものだから、社員の間では「社長が言うことなら仕方がない」、「無理に反発してもかえって忙しくなるだけ」といった思いが生まれ、不承不ながら承従っている。

 私はと言えば、まだ社長の言いたいこと、その真意がわからない部分も多いが、わからなければ疑問をぶつけ、異論があればその意見をなるべく言うようにしている。前任者も最初はそうやってがんばっていたが、次第に疲れて、最後は静かにしていたと聞く。私もいつまで抵抗できるだろうか。それでも私が言わなければ他に言う人はいない。たとえ嫌われても異論をしっかり言っていこうと思う。ただ残念なことに、突然の社長提案に対して、すぐに内容を把握し反論できるだけの能力も経験もない。それで帰宅してから「あの時こう言えばよかった」と反省することもたびたび。まあ仕方がない。社長が決めて最後に会社がどうなろうとも全ては社長の責任だ。社長の趣味の範疇であれば、多少のわがままは許してもいいかもしれない。だが社長が退任する時、社員一同が困らないよう、後に残る方針に対してはしっかり意見を言っていこうと思っている。

世界文学を読みほどく

 池澤夏樹が世界文学と日本文学の全集編さんを行なっていることは知っていた。しかし世界文学を大して知っているわけでもない私が読むような本ではないと、これまで敬遠してきた。でも、ひょっとして池澤夏樹なら、わかりやすい文章で世界文学を解説してくれているかも。そんな期待もして、本書を手に取った。2005年に刊行した講義録に、講演録を一つ加えて再発行されたもの。

 対象とされた小説は、スタンダールの「パルムの僧院」を始め10編。「カラマーゾフの兄弟」や「百年の孤独」は読んだことがあるが、「魔の山」や「ユリシーズ」となると、さすがにこれまで手が出なかった。それでも本書の中で池澤夏樹は一編一編、丁寧にあらすじを紹介しつつ、内容を検討していく。これはわかりやすい。

 「パルムの僧院」は物語の魅力、「アンナ・カレーニナ」はメロドラマ、「カラマーゾフの兄弟」は信仰や倫理と人生について。そして「白鯨」に至って小説のあり方が大きく変わり、「百年の孤独」では民話の世界が小説を駆動する。池澤夏樹は、これらの小説の裏にある筆者の意識や世界観・社会観を現代に引き寄せて再考する。

 時代が進むにつれて世界の在り様は大きく変化し、個々の人間の社会に対する在り様も大きく変わった。社会という一つの全体が見えなくなり、一人ひとりが孤立した中で生きざる得なくなる。そんな中でこそ今、小説に求められる役割があるのではないか。筆者自身が自身の小説も素材にしながら小説論を語る。そしてその語り口はとてもわかりやすい。池澤夏樹を改めて見直した。これからも池澤夏樹の小説を読んでいこうと思った。

 

 

〇人の心の動かしかたの技術は発達しました。そして理念はなくなりました。教会には神がいて、聖書があって、人々の魂を扱っていた。今その人々を動かすためのシステムは魂のことを言いません。パンのことだけです。・・・「カラマーゾフの兄弟」を成立させている世界は、われわれが今生きているこの世界と非常に近い。情欲、信仰、無神論と哲学、それから自由の問題。パンとサーカスのことも含めて、今の時代と非常に重なるところが多い。(P159)

〇言ってみればぼくたちは、集団の意識、あるいは集団の無意識という地下水から、それぞれ自分の井戸を経由して、水を汲み上げて使っているのではないか。自分は非常に個性的で、自分個人の考えだけで、自分なりの判断をして、事を決めて生きているんだと言っても、実はそれは全て、われわれ人類の今までの体験の中に何か先例やパターンがある。個性、個性と言ったって知れている。だから、例えばある物が流行すると、みんながそれを追いかける・・・人というのはそんなに孤絶していない。(P185)

○アメリカ人自身が・・・罪を認めて、先住民たちの権利の復帰への動きが広まったのは、本当にこの二十年ほどのことです。・・・かつて奪ったということ、それから黒人をアフリカから連れてきて束縛した上で、強制労働をさせた、それによって富を作った、ということは、アメリカ人の心のどこかでずっと、一種の重い罪の意識のような形でずしんと残ってきたのではないだろうか。それが今アメリカ人全体に影を落としているのではないか、という気がします。(P262)

大きな物語がかつてはあった。革命でなくても、宗教でも、立身出世でもなんでもいいのです。自分の人生を嵌め込める物語がある、ということです。そういうものがみんな失われて、言ってみればわれわれは、壊れてしまった大きな物語の破片の間をうろうろしている、それが今なのではないか。とりあえずその日その日で何を消費するかを考え、暫定的に日を送っている。それだけではないのか。(P402)

○世界は今や細分化していて、もはや全体像は描けない。では、どうなってきているのか。われわれは、今の世界を持ってはいるけれども、その全体はもう見えない。確かに一つの集合を成してはいるけれど、しかし脈絡がない。全体は誰にも見えない。みんなその一部を持ってきては、それぞれ勝手な物語を組み立てるだけです。(P408)