とんま天狗は雲の上

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日本版グリーン・ニューディール構想より食のニューディール構想は考えられないか

 日本版グリーン・ニューディール構想というニュースがあった。オバマ次期大統領が昨年11月に公表したグリーン・ニューディール計画の日本版で、環境対策に集中的に投資や支援を行うことで経済対策を図るという内容だ。環境を軸に据えた経済対策は、欧州では既に京都議定書の段階から取っていた戦略であり、アメリカでもゴア元副大統領の時代から水面下で準備が進められ、オバマ次期大統領により本格的に始動を始めるものである。
 日本の環境対策は、従来より科学的・技術的な課題として捉えてきた傾向があり、ようやくここ数年、企業の経営戦略とともに経済的ツールとして認識されるようになってきたと言われる。武田邦彦らが環境対策を痛烈に批判するのも、こうした状況があってのことである。私も今さら、環境をネタに経済対策を講じることに大きな危惧を感じる。もちろん環境対策そのものに対して反対をしているのではなく、環境対策を口実とした経済対策がかえって環境に悪影響を及ぼす恐れが否定できないからだ。
 道路等の公共事業でさえ、その効果を的確に評価することは難しい。大気や水質、緑化などの身近な環境であればまだしも、地球環境に至っては現状評価や影響要因など明確でない。しかもある目的に対する環境対策が他の環境項目に影響を及ぼすなど、対策と効果の関係が複雑で一概に評価できないことが多い。
 加えて、後発・後追いの経済対策が、数年も先を走る欧米に対して対抗できるかという問題がある。もちろん省エネ技術など技術面で日本が大きくリードしている分野もあるだろうが、欧米はそこは巧みに避けるだろう。いかに日本が得意なフィールドに持ち込むかがカギだが、外交・政治分野でうまく立ち回れるとはとても思えない。相手の得意分野で疲弊してかえって国力を落とす危惧もぬぐい去れない。
 ではどうするか。やはり日本は得意分野での経済対策を考えるべきだろう。日本の財産は、独自の文化と勤勉な国民性と蓄積された技術力だと考える。そして外需が期待できないとなれば、内需を中心にどう経済を立て直すかということを考えざるを得ない。その向けるべき先は、食であり農であってほしい。今までその生産力を削り取って、輸出産業に振り向けてきた。戻すべき先は、食であり農である。しかし現在の農業は骨の髄まで吸い取られ形骸化してしまった。そこに経済の光を当て再生する道を探りたい。そのための「食のニューディール構想」を期待したい。