とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

街とその不確かな壁☆

 発行から1年が経って、ようやく予約の順番が回ってきた。さて、この作品の評判はどうだったのだろうか。村上フィーバーも一時ほどは騒がれなくなった。私の村上春樹への興味も一時ほどではなくなった。それでも久しぶりの村上作品はやはり読ませる。600ページを超える大作だが、ほぼ1週間で読み終えた。

 「街と、その不確かな壁」という作品が40年近く前に書かれ、雑誌では発表されたが、書籍としては発行されなかったという。だが、どうみても、第一部はどこかで読んだことがある。たしか「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」がこんな内容だったはず。壁に囲まれた街の図書館で夢読みをする話。

 めずらしく「あとがき」が添えられている。それを読むと、最初に書かれた「街と、その不確かな壁」を発展させたのが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だったとの由。だが、それとは別の対応を模索し、そしてようやく執筆されたのが本書だという。確かに、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、壁の囲まれた街と並行して語られる物語はまさにハードボイルド。一方、本書ではそれよりもずっと現実的な話になっている。

 そして、第2部ではその現実路線の中でさらに話が進んでいく。第2部はそれだけで一つの作品になりそうだ。そして、最後に短い第3部が添えられる。結局、ここで私は、夢読みの仕事をイエローサブマリン少年に譲り、現実の世界に戻っていく。だが、どちらが本当に現実の世界なのか。我々の世界は、頭の中にあるのか、身体にあるのか。

 それにしても長かった。もう少し短く書くこともできるのではないかと思わないではないが、村上氏は毎日、決めた時間の中で小説を書き進めていくという。たぶんただルーティンをこなしただけの部分もあるのではないか。そんなふうに思いながらも、でもそうした時間も含めて、この作品に必要な時間なのかもしれないとも思った。でも長かった。図書館の貸出期間の中で読み終えることができるかと心配になったが、読んでみれば1週間。それだけ読ませる作品なのだと思えば、さすが村上作品、ということなのかもしれない。まあ、面白かった、とは思う。

 

 

○壁という圧倒的な存在の前では、私の日々の努力など何の意味も持たない―壁はそのことを見せつけているのだろう。/「あんたに言いたいのはね」と門衛はもったいぶって私に忠告した。あるいは警告した。「頭に皿を載せてるときには、空を見上げないほうがいいってことさ」(P80)

○「私の影が死にかけているみたいだ…そう長くはもつまい」と私は言う。「ずいぶん弱っているようだから」/君は…言う。「…仕方のないことね。暗い心は遅かれ早かれ死んで、滅びていくのよ。諦めなくては」…「影には気の毒だけれども、あなたはこの街での、影を持たない暮らしに慣れていく。しばらくすれば影のことは忘れてしまうでしょう。(P137)

○頭の内で現実と非現実が激しくせめぎ合い交錯した。私は今まさに、こちらの世界とあちらの世界との狭間に立っている。ここは意識と非意識との薄い接面であり、私は今どちらの世界に属するべきなのか選択を迫られている。…影は言った。「…この街は成り立ちからして多くの矛盾を抱えています。街を存続させるには、それらの矛盾点をうまく解消しなくちゃなりません。そのためのいくつかの装置が設けられ、制度として機能しています。…あんたがここでやっていた図書館の夢読みも装置の一つです。古い夢として集積された精神の断片が、その作業によって昇華され、宙に消えていきます。(P176)

○「…わたくしの身体はもうこの世界に存在してはおりません。…」/「でも意識は継続する?」/「はい、意識はそのまましっかり継続しております。…」/「脳と肉体の他に…魂という存在があるとは考えませんか?」と私は尋ねた。…/「…魂とは何かというのは深い謎であります。…実際に死んでみればわかることですが、魂なんていうものは目にも見えませんし、手でも触れられません。…実際に我々の頼りになるのは、なんといっても意識と記憶だけです」(P292)

○私はこれまでいったい何を待ってきたというのだ? 自分が何を待っているのか、それが明らかになるのをただ辛抱強く待っていた、というだけのことではなかったのか?…いったいどこが出発点であったのか、そして到達点と呼べるようなものがどこかに存在しているのか、いないのか、考えれば考えるほど、判断がつかなくなっていった。(P585)