とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

裁判員の心がけ

 裁判員制度がついに始まった。さすがに本当に始まるとなると、今さらの裁判員制度批判は影を潜め、裁判員に選定されたしまった時の対応などの記事が多く載っている。妻も「裁判員になったらどうしよう。裁判官のように冷静な判断なんてできそうにない。」と不安を語る。
 しかし待てよ。 裁判員制度が導入された理由は、裁判をプロである裁判官の判断に委ねず、一般市民の目や感覚も取り入れたものにしようということのはずだ。市民に難しい刑法等の法律を教え込むことが目的ではなく、逆に難しい法律を知らない素人の目で、今までのプロだけによる偏った判決を是正したいということだ。
 だとすれば、我々はたとえ裁判員に選ばれたとしても、法律の勉強を一切する必要はない。いや、すべきではない。会社や学校で喜び、また悔しい思いをし、ミステリードラマを見て憤慨し、また涙を流し、家族の愛に包まれ、また振り回され、そうした日常の中で積もり積もった感覚・常識をこそ裁判の場で発揮することが求められている。
 だから、「悪い人間はみんな死刑!」とか「神以外に人は裁けません。」とか「難しいことはわかりません。おとうちゃんに聞いてみます。」とか「お上の言うとおりでけっこうです。」とか「あの人はかっこよく信頼できそう。」とか「あそこの占い師はよく当たる。」とか「今日は気分が悪いからスカッとしたい。」とか「金が第一。早く終わって報酬だけガッポリ。」とか・・・・そんな市民の感覚こそ裁判員に求められているのです。
 そういう心がけでいれば、裁判員制度なんて怖くない。冥土の土産に一度は経験しておきたい。早く当たらないかな、裁判員