とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

失われた町

 デビュー作の「となり町戦争」は友人に勧められて読んだ。設定は面白いが、十分こなしきれていない印象を持った。第2作目の短編集「バスジャック」はまだ読んでいない。本書は3作目の長編ということで手に取ってみた。
 突然、町に住む人々がそっくり消滅してしまう。月ヶ瀬という町に住んでいた友人、家族、恋人・・・を突然失ってしまった人たちが、手を携え、次の消滅が起こらないように『町』との戦いを続けていく。
 冒頭に置かれた「プロローグ、そしてエピローグ」は読み終えてみれば、最後のシーン。そしてその後に、7つのエピソードが置かれ、様々な登場人物の経験、つながり、物語が描かれ、最後の「エピローグ、そしてプロローグ」で、「プロローグ、そしてエピローグ」につながるシーンを描いている。
 「となり町戦争」同様、設定は面白い。が、設定に溺れ、描かれる人間関係や人間模様は平板だ。アニメにすれば面白いだろうか。
 描かれる時代や場所も、始めは日本かと思ったが、どうやら未来の架空の国らしい。しかし、自動車や建物、人々の生活も現代と変わらない。その中でエピソード5だけが近未来的なサスペンス・タッチで描かれる。エピソードと言うとおり、確かに様々な登場人物のエピソードの寄せ集め。最後にほぼ全員が集まり、町の消滅に向けて力を合わせて行こうとするシーンはまさにアニメ的。
 結局、作者はこの作品で何を言いたかったのか。設定の面白さしか残らなかった。それが秀抜と言えばそうなんだけど・・・でも、なぜ。

失われた町 (集英社文庫)

失われた町 (集英社文庫)

●自分がもし今いなくなっても、痕跡すら残すことなく、生きていた証は消えていくのだと思った。悲しみの感情ではなかった。命の重さと言われるものと、現実世界で日々あっけなく奪われてゆく命の存在の軽さとの折り合いがつかないことは、茜自身も自覚していた。(P35)
●命の終わる瞬間は、誰にも決められない。それは、妻自身でもなく、妻の本体によってでもなく、まったく別のものによって定められたのだ。町の消滅によって。(P208)
●もしかすると、私たちにとって消滅者は『町の巻き添えとなって失われた人々』ですが、『町』にとってみれば、平和で心穏やかな世界へと導いているつもりなのかもしれませんね。ですから、私たちが消滅に抗おうとする動きさえ理解できないのかも。最近、そう思うようになりました。私はそんな『町』と共に生きて行こうと思っています。(P337)
●人は失われても望みは受け継がれてゆく。決して失われないものもあるのだ。のぞみはそう思った。(P517)