言わんとすることはわかる。知識から発想するのではなく、自由な想像の中で発想をすることが大事。前者を「ある型」思考と言い、後者を「ない型」思考として、後者がより優れていることを全編にわたって訴えている。
序章でこのことを述べた後、第1章以降は、「答えの有無」「問題解決型と問題発見型」「カイゼンとイノベーション」「具体と抽象」「安定と変化」「受動と能動」「既知と未知」など、対立する概念を取り上げつつ、「ない型」の有効性を述べていく。
でも、へそ曲がりの私としては、「しかし社会は多数派の『ある型』がいて成り立っているのではないか」と思ってしまう。もしくは、「ある型」の行動をベースに、時に「ない型」の発想も必要になるのではないかと思う。常に「ない型」であっては、生きていけないのではないか、とも。
で、自分を振り返ると、「ある型」の時が多いが、「ない型」の発想と行動をした時もあったなと思う。まあ、人を単純に「ある型」と「ない型」に分けてしまうのは、それこそ「ある型」の発想ではないかと思う。たぶん筆者には十分わかっていることだろうけれど。なので、「ある型」と「ない型」に分けて考えることは理解できるが、すべからず「ない型」が優れているわけでもあるまい、と思った。
○世界や社会は、大多数の「ある型」と、少数の「ない型」の人たちの対立構造の中で動いている。…「ある型」の思考回路の人は文字通り「あるもの」から発想するのに対して、「ない型」の人は「ないもの」に着目してそこから発想します。/「あるもの」とは・・・具体的であり、経験や過去の知識が重視されます。そうなれば、視点はどうしても「自分中心」になります。/対して、「ないもの」は、無から有を生み出すわけですから、抽象的であり、想像や創造などの思考力が重視されます。そして、そのために必要なのが「上空から自分自身を客観視する」メタ認知の能力です。/結果として、「ある型」の発想ではいまある現実を重視するのに対して、「ない型」の発想ではもう少し視野を広げた理想まで思いをめぐらすことになります。(P029)
○「ある型」は、自分が知っているものを生かすことからすべての発想が始まりますから、…知識量がものをいうわけですが…思考型(「ない型」)は「ない」ものを生み出す発想ですから、必ず「いまあるものとは違う」ものを生み出そうとします。そこにいくばくかの知識は必要ですが、知識量さえ多ければよいのかというとそうでもありません。「外側の広大な『ない』の領域」に目を向ける「自ら考える」意識がより重要になってきます。(P095)
○「無の境地」が無限大であることは…一見矛盾している世界観のように見えます。「ある」の状態としての「自由度が小さい」状態は、ものごとを固定的に見ているという点で「偏見がある」状態ともいえます。「無」とは「一切の偏見を取り除いた」状態であり、「解釈の自由度を無限に持った」状態です。つまり「無」が行きつくところまで行った状態ということになるのであす。(P159)