とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカーデイズ

 小学生の娘が所属するサッカーチームのコーチを引き受けることになってから、娘とともに、そして妻や小学校に上がったばかりの息子、両親とともに繰り広げるサッカーを中心とした日々を飄々と書き連ねる。飄々とと書いたが、サッカーを中心とした生活は、多くの大会があり、ゲームの勝ち負けはもちろんのこと、保護者との諍い、コーチ指導への違和感、成長する子どもの姿など多くのドラマがある。
 時系列的に進行する日々に、中学生時代のサッカー部の思い出、社会人になってから仲間と結成したサッカーチーム、浦和レッズの応援、両親との諍いなど多くの過去の出来事が絡まって、日常は立体的に浮き上がってくる。
 読んで一緒にはらはらし、一緒に応援し、一緒に涙する。筆者のサッカーと家族への愛が伝わってきて、心から暖かい気持ちになる。
 私も筆者と同様、サッカーは中学三年になって下級生にレギュラーを奪われ、そのままやめてしまった。でも今になってなお、いまだ海外サッカーを録画し、サッカー観戦にも出かけている。うらやましいのは筆者は埼玉スタジアムが自転車で行ける距離にあること。70歳近い両親も一緒にサッカー観戦に行くこと。そして娘がサッカーを始めたこと。残念ながらうちの娘の時代では少女サッカーチームはまだなかった。なでしこジャパンという言葉も生まれていなかった。
 ミスや敗戦に何度も涙した筆者の娘さん、ユキちゃんは中学生になっても少女サッカーチームを辞めず、男子しかいなかった中学校のサッカー部に入部したと言う。いつか杉江ユキというDFがなでしこで活躍しているだろうか。思わず応援したくなる微笑ましい家族の成長とサッカーへの愛がある。そんなほのぼのとした心温まるノンフィクション作品だ。

サッカーデイズ

サッカーデイズ

●大会本部からチーム名を呼ばれ、子どもたちはあわててベンチから腰をあげた。・・・審判がセンターラインに並ばせ、挨拶をすると、不思議なことにそれぞれがバランスよくグラウンドに散っていく。なかには私が伝えたポジションではない子もいるけれど、おそらくそこが本能的にやりたい場所なのだろう。(P9)
●どうしてコーチなんて引き受けてしまったのだろうか。サッカーだって上手くないし、教えることにも興味なんてなかったのだ。それに他人の子の面倒をみるなんて考えたこともなかった。私はただサッカーが好きなだけだったのだ。それが監督から誘われ、断り切れずに引き受けた結果、週末はすべてスマイルズで埋まってしまった。そうして・・・夏合宿に同行し、温泉に浸かり大きなため息をついているのだ。(P62)
●監督が手にした作戦ボードに並ぶ選手の名前を知っているのは、私たちコーチ陣とスマイルズのメンバー、そしてそのお父さんお母さんに限られる。彼女たちはどこにでもいる小学生の集まりでしかないのだ。それでも私たちにとっては、メッシやクリスチアーノ・ロナウド以上に関心を寄せる、唯一無二の選手たちだった。(P157)
●「オレ、もうすぐ七十歳だろう。人生ももうロスタイムなんだな」・・・「あんまりロスタイムが長いとブーイングされるよ」/私が言うと父親は大きな声で笑った。/いつか私も父親のように病院のベッドに横たわる日が来るだろう。そのときこの夏のことを思い出すような気がした。(P194)
●両親は、高校受験のあのとき以来、私の人生に一切口を出すことはなかった。・・・ふたりはどんなときにも「おまえが決めたならそうすればいい」と言った。/ただそれは放任とも違った。私はいつも両親に見守られているのを感じていた。それはまるでゴール裏のサポーターのようであり、理想的なコーチの姿でもあった。(P229)