とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

北爆と聞いて思い出すこと。

 アメリカがイラク北部への空爆を開始した。「北部空爆」と言われて思い出すのはベトナム戦争だ。そしてそれは結局、アメリカにとってもいい結果を生まなかった。オバマ大統領は今回の北爆をヤジド派救出のための限定的な軍事行動としているが、アメリカ国内ではアメリカが再び戦争へ走り出すのではないかという懸念も広がっているようだ。
 そもそもアメリカはなぜ遠く離れた中東地域で軍事行動を起こすのか。世界の警官と自任し、少数派民族を守るためという理由を挙げているが、どうしてもそれは建て前ではないかという懸念がぬぐい切れない。そして日本政府も一定の理解を示したと言う。それは「激化したら、日本も応援に駆けつけますよ」ということか。集団的自衛権の実行決断の場面がさっそく訪れようとしている。
 40年前の北爆には日本人が自ら北爆に参加することはなかったが、それでも北爆機が沖縄の基地から飛んでいったということを今も心痛に感じている人がいる。池澤夏樹「カデナ」はそのことを思い出させる。今回、我々はさらに強い痛みを心に感じることはないだろうか。既に多くの人にとって「北爆」は傷痕にすらなっていないのだろうか。
 ガザ地区での戦闘、ウクライナの内戦、そしてイスラム国の侵攻。日本のTVでは今日も台風のニュースとくだらないバラエティ番組ばかりをやっている。こうして国民の目を逸らせている間に世界は着実に破滅の方向に近付いているのではないか。そして日本もまたそれに自ら巻き込まれようとしている。やはり最悪のシナリオばかりが次第に存在感を増しているように思える。