とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

街場の教育論

 神戸女学院大学大学院での講義を元に書き起こした「街場の・・・」シリーズもこれで4巻目。内田先生の教育論はこれまでもブログでさんざん読んできたが、これまでよく読んできた教育論、教育再生会議批判に加え、メンター(師匠)論や音楽性を強調する国語教育論、外との交信を説く宗教教育論など、興味深い議論が繰り広げられている。
 日本の教育を良くするには、教員が気持ちよく仕事ができる環境をつくることが最も重要であること。教員は教えるのではなく学ぶ姿を見せることが大事なこと。学ぶべきものは先達が知っており、教師はそれを学んだ成果を伝えるにすぎないという姿勢が、学ぶ者の学ぶ意欲を起動すること。こうした日本の教育現場の姿勢を変える提言が、わかりやすい語調と絶妙な経験事例や引用で語られ、いつものように引き込まれるように読了した。
 そうだよな。教育って本来こういうことだよな。うちの娘は、またはうちの高校は、こうしたことをどこまで感じているだろうか。
 意外に現場の先生はわかっているような気がするし、子供たちも感じているんじゃないだろうか。教育の現場は思った以上に生もので、文科省や政治家が考える以上に敏感に反応しているような気がする。子供たちを変えているのは、消費社会に巻き込まれた一般家庭の方ではないだろうか。次は例えば、「街場の家族論」なんていかがです?

街場の教育論

街場の教育論

●「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること。それが教育というもののいちばん重要な機能なのです。(P40)
●まず教養教育で自分と世界の違うものとのコミュニケーションの仕方を学ぶ。次いで、専門教育の「内輪のパーティ」で、符丁を使って話す仕方を学ぶ。そして次に、これまで符丁で話してきたことを、「符丁が通じない相手」に理解させる。そこまでできてようやく高等教育は一応の目標達成ということになります。(P94)
●必要なのは「あるべき社会」についての「正しい情報」ではありません(・・・「そんなものはかつて存在したことがないし、これからも存在しない」です)。そうではなくて、「あるべき社会」を構築「する気」に私たちがなれるかどうか、です。(P150)