とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

リーダーのいない国

 民主党の小沢代表の秘書が政治献金疑惑で逮捕され、突然政界は解散総選挙献金問題の狭間で揺さぶられることとなった。総選挙を睨んで民主党の足を引っ張る国策捜査という批判も出ている。確かにその可能性も大いに疑われるが、私はそのこととは別に、日本の政治家像、リーダー像の変化、社会の変曲点における新たな社会体制模索のエポック・メイクな事件のように感じられる。
 西松建設は小沢代表だけでなく森元首相を始め多くの国会議員に同様の手法で政治献金を行ってきたと報じられている。多額の献金を集め、それを原資に一部の者の支配を勝ち取り、それを踏み台にさらに多くの有権者の支持を得る。そういう形で日本のリーダーはそのリーダーシップを勝ち取ってきた。その根元には日本の将来への真摯な危惧や展望、変革の意志があったかもしれないが、それだけではリーダーになりきれなかった。野望や強い意志を核に、金と幻想と付和雷同と安心感と・・・それらをかき集めてリーダーにのし上がっていく、というのが今までの日本のリーダーのつくられ方だった。そして、こうした従来型の権力構造に疑義を挟んだ、というのが今回の事件の本質ではないか。
 もちろん同種の事件はこれまでもあり、また批判もされてきたが、これまでは日本のリーダーを独占してきた政権与党に向けられていた。今回は次期選挙で政権を奪取する可能性がある野党党首に向けられたという点が根本的に違う。これは取りも直さず、日本の政界がこぞって、こうした権力構造にあり、その上でしかリーダーが輩出されない仕組みになっていることを示している。もちろんわかっていたことではあるが、それを明らかな形で示したのが今回の事件だ。
 問題はそれからである。こうした権力構造でのし上がったリーダーはこれからの日本のリーダーにふさわしくないと国民の多くが考える。かたやアメリカに登場したオバマは、新しい時代のリーダー像を示し、国民の期待を一身に集めた。未来を託してみようという気にさせた。オバマのようなリーダーは、日本ではどのようにして登場してくるのか。その新しい形が未だ見えない。
 総選挙があれば政権は変わると民主党は勢い込んでいた。麻生・自民党は危機感を抱えている。しかし国民は投票先がなく困っている。今まで投票率の低さは、政治への無関心が原因とされた。投票しても何も変わらない。変わらなくてもかまわない。しかし今度の選挙は、投票したい人がいない、どこに投票しても日本の磊落は止めることができないという諦めが投票率を落とすことになるのではないか。
 よしんばどこが勝ったにせよ、日本は変わらない。変わらず地盤沈下していく。少しの高みも見つからない。蜘蛛の糸も見つからない。こうしてリーダーのいない国は、タイタニック号よろしく静かに沈没していくのだろうか。せめて救助用ボートくらいは自力で手配しなくてはならない。ボートはどこにあるのか。