とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー批評46

 特集テーマは「『ベスト4』なんていらない」。確かに、岡田監督が掲げた「ベスト4」という目標は、選手を奮起させるためのものだったのか、マスコミの注目を集めるためのブラフだったのか、ファンの期待に応えた暴言だったのか、その意図はよくわからない。しかし今となっては、いや就任当時でさえ、グループリーグ突破できれば上々の結果だと日本のサッカーの現状を知るおおかたの人は思っている。こうした中で「『ベスト4』なんていらない」と言われても、当たり前すぎて今さら問題にする気もしない。ようは岡田監督批判なのだ。そして今、岡田監督とともに自殺しようとする日本サッカーを多くのサッカーファンが悲痛な思いで眺めている。結果はどうあれ、今度のW杯は日本サッカーを前進させる契機となりますようにと。
 だから、今さら日本代表の戦術的な問題点を分析されてもそんなに面白くない。ただし「各国ジャーナリストが推薦する次期日本代表監督」は南アフリカ後のことを想像させて楽しい。何にしろ、南アフリカ後のことは興味が湧く。
 「サッカー批評」ならではのルポルタージュや時事的な記事はいつもながら面白い。特に木村元彦による大分トリニータの経営危機を取材した記事は、なぜあの溝畑氏が失脚し追われることになったのかを明らかにしており興味深い。そこには多くの不幸が重なり、溝畑氏の努力を台無しにする地方の力学があった。もちろん溝畑氏の不手際や経営手法に起因する問題もあるのだが・・・。次号はさらに地域の実情に踏み込んでいく。楽しみだ。

サッカー批評(46)  (双葉社スーパームック)

サッカー批評(46) (双葉社スーパームック)

●いまの日本がワールドカップへ向けて掲げるべきは「ベスト4」というフラッグではない。求められるのは、4年前の失望を希望に変える一歩の前進である。「サッカーは素晴らしい」。そう思わせる戦い、振る舞いを見せ、遠ざかるファンの心を少しでもつなぎとめる。そして今度こそ、大会で得たものをしっかりと未来につなげていかなければならない。(P003)
●どのようなプレーを好むかには、実は私たち国民一人ひとりの「嗜好」が反映されている。少年時代からJリーグのプロ選手に至るまで、私たちがどこで拍手し、歓声を上げ、何に対して好意的な評価をするか、その積み重ねの果てにプロ選手のプレーがある。つまり、日本代表の選手のプレーの一つひとつは、実は私たち日本人の嗜好とそれに基づく評価の中で育っている。(P067)
●ここで一つの事実を言おう。これまで、トリニータの歴代胸スポンサーで行政処分を受けていない企業は、皮肉なことにJリーグが認めなかったマルハンだけである。(P094)
●サッカーは相対的なスポーツだな、と。周りと自分の距離を計りながら、自分の技術を究めていくものだと、ぼくは確信しているのです。なぜなら、自分がJリーグという恵まれた環境でプレーしていた時と、いま置かれている自分の状況での思いは、サッカーに対して何も変わらなかったことをぼくは知ったからです。(P117)