とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

岡田ジャパンは太平洋戦争に突入する日本軍部のよう

 昨日のセルビア戦は本当に情けなかった。
 今読んでいる「シリーズ日本近現代史(10) 日本の近現代史をどう見るか」(岩波新書)に次のような一節があった。田中隆吉陸軍省兵務局長が「偕行社記事」1941年9月号に寄せたエッセイからの引用である。

●将来若し近代化せられたる北方若くは南方の軍隊と戦ふに際し、対支那軍の戦闘に於て得たる教訓乃至経験に基き訓練せられたる軍隊を以て果して所期の戦果を挙げ得るであらうか。砲兵なく僅かに迫撃砲のみの支援の下に防禦しある敵陣地に対する攻撃法を以て、機械化せられたる優秀なる砲兵と戦車を有する敵に対し、果して現在の訓練を以て足れりと言ふべきであらうか。

 本書に対する読書感想は後日挙げるとして、ちょうど今朝この一節を読んでいて、まるで岡田ジャパンに対する戦評のようだと感じた。
 アジア地区予選やアジア杯ですらかろうじて勝ち上がった日本が、世界の強豪と相まみえるW杯を前にして、アジアでの戦いの延長線上にその戦い方を構想し、「7割方固まっている」と豪語する。世界の強豪とのゲームはどう展開し、日本はどう戦うべきか。昨夜のセルビア戦はそのための貴重な情報となるはずであり、これまでのアジア用の戦力で戦うことでこそ彼我の違いを感じ、貴重な教訓となるはずのところを、相手も2軍だからとこちらも2軍戦力で戦い玉砕した。
 しかも日本は、楢崎、中澤、遠藤、俊輔、岡崎といった本戦でも主力となる戦力を配しての玉砕だ。「他のメンバーがいつもと違ったので」という言い訳を俊輔等がコメントしているが、本当にそうか。主力戦力の問題も考えなくてもいいのか。つまり基本性能においても劣っているという懸念だ。
 本来なら根幹となる戦力の部分でこそ試行錯誤を行い、より戦力アップに努めるべきところを、基本は早々に決めてしまい、アタッチメントの部分であれこれ入れ替えを楽しんできたのがこの1年ほどの日本の戦い方ではなかったか。
 チャレンジ精神を唱え、世界4強を唱えた岡田監督は、まるで精神主義での戦いを強要した日本軍幹部の写し絵のように見える。
 アジア地区予選突破が世界戦への参戦を告げる真珠湾攻撃だとすれば、セルビア戦は敗戦の始まりとなったミッドウェー海戦と言える。このままでは東京空襲や沖縄上陸を経て、原爆攻撃の末、壊滅降伏とならざるを得ない。
 しかし、もう参戦してしまった以上、逃げる(出場辞退する?)わけにはいかない。せめて潔く玉砕するのか、一縷の望みを監督交代や俊輔・遠藤ベースから本田・森本ベースへのチェンジに賭けるのか。まさに究極の選択の時がやってきた。