とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

いまさらですが、無頼派宣言。

 海堂尊のブログ「海堂ニュース」が昨年10月で終了した。本書は2007年3月の開設から7年7ヶ月間で終了するまでの各ニュースと、海堂氏が法医学者の深山氏に名誉棄損で訴えられる経緯となった日経メディカツオンライン・ブログの記事を収録したものである。海堂ニュースはたまに読むこともあったが、毎回かなりの文章量で読みこなすのはけっこう大変。それが7年分以上も集められているのだから、本書を読み終えるのもかなり根気と努力を擁する。海堂氏が提唱するAi導入の現実も遅々として進まないものだから、ブログの内容もそれを反映し、主張を繰り返す部分も多く、かつ長い。
 結局、Aiは医療現場では多くの理解を得て、一定程度導入が進んだが、法制化の面では、厚労省や法医学会などの抵抗勢力の影響で、死因究明関連2法は制定されたものの、その内容は依然煮え切らない形のままだ。しかし「チーム・バチスタの栄光」以来8年、さすがに海堂氏の情熱も薄れ、病理医学会も退会、ついにブログ終了という結果に至った。また、一連の田口・白鳥シリーズも「ケルベロスの肖像」で幕を閉じ、昨年3月刊行の「カレイドスコープの箱庭」で本当に終了した。
 その後も「アクアマリンの神殿」が7月には刊行されるなど、執筆活動まで中止したわけではないが、これまでのような超多忙モードではなく、もう少しペースを落とし、マイペースで書いていきたいという心境のようだ。とは言っても、最終回でもAiに対する内容が大半を占め、医療界への眼差しは変わらない。これまでのように医療界の真っ只中ではなく、文芸界から海堂氏らしいスタンスと視点でAiの動向を見つめ、口を出していくのだろうと思う。
 本屋大賞や医療小説大賞における渡辺淳一批判など、まだまだ海堂精神は衰えるところをしらない。これからはAi分野だけでなく、文学界やひょっとしたら政界などにも海堂氏の活動は広がっていくのではないか。今しばらくは休養モードのようだが、近いうち必ずやまた活発な海堂節が聞かれるに違いない。それを楽しみに、まずは「海堂さん、ここまでどうもご苦労さまでした」と言おう。

いまさらですが、無頼派宣言。

いまさらですが、無頼派宣言。

●ここに書いたモチーフはシンプルな三本立てで、(1)Aiは社会導入されるべき、(2)情報開示しない法医学者が社会をダメにする、(3)厚生労働省は現場の人間の声を聞け、である。基本精神は情報開示、徹底議論、社会資源のフェアユースの三本立て。たったそれだけかと言う勿れ。その三本立てはとっても大切なのに、この社会では実現困難で、大の大人がここまでしつこくぐちぐち書き続けても未だにたどりつけないゴールでもある。(P5)
●1983年、「医療亡国論」なる論陣を張った官僚は、四半世紀経った現在もその原則を堅持し続けています。でも、人々が病んで苦しんでいるのを救えるのであれば、医療費で亡国したっていいじゃないか、と私は思います。官僚は汚職まみれの自らの組織は自浄しようとしないクセに、医療現場には自浄を強制する。モラルの高い医療が、モラルの低い官僚に指導を受けるエキセントリックな国、それが日本です。メディアは官僚の言葉を無批判に垂れ流し、その傾向を助長しています。(P50)
●公的システムの利用度合いは誰でもあまり変わらない以上、累進課税の本質は社会寄付です。税金をむしり取られるのはげんなりだけど役立つお金は出したい。短期間で巨額の寄付金が集まったことは日本国民の民度の高さですが、国に対する強烈な批判の裏返しでもある。寄付を出しても惜しくないという人がこんなにいるのに税収が足りないのは、国家を運営している人たちに徳がないからです。国民の徳は高いが官僚機構は卑しい、というのが日本の現状です。(P220)
●問題を訴え続けてわかったのは、話を聞いた人の9割は納得し、そのうち1割はモーションを起こしてくれる。でもそんな動きは組織内の怠惰で無理解な人にぶつかると止まってしまうのです。私自身は、怒りを以て壁を破ろうとしていた時代は終わったようで、今は淡々主張モードです。声を上げても世の中は変わらない。だからといって諦めたくない。うーん、低温発言だなあ。(P299)
●今回の2つのエピソード、第2回医療小説大賞が受賞者なしという結果と、阪大の死因究明学講座旗揚げでAiが無視された話には共通点があります。「クソジジイ、もとい、従来の権威の妄執が、新しい分野が花開くのを阻害する」ということです。・・・「大家の妄執」を排除できなければ次にくるのは「分野の衰退」です。・・・作家は、人々から非難されても言いたいことを言い散らすのが性癖だと思っていました。でも最近、自分のだらしなさを露悪的に暴露する作家はいても、社会問題とか業界の因習について切り込んでいこうという作家は少ないように思います。ああ、情けない。(P327)