とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ブンデスリーガ第21節 ヘルタ・ベルリン対バイエルン・ミュンヘン

 2位ライプチヒが停滞する中、順調に勝ち点を積み上げているバイエルン。CLではアーセナル相手に大勝し、中2日でヘルタのホームへ乗り込んできた。メンバーはレバンドフスキシャビ・アロンソ、マルティネスらをベンチに温存し、ミュラーのワントップ。キミッヒとビダルボランチに、アルカンタラをトップ下に置いて、アラバとフメルスがCBを組む。対するヘルタはダリダをトップ下。原口はもちろん右SHで先発した。

 序盤から積極的に攻撃に出るヘルタ・ベルリン。恐れず高い位置からプレスを敢行し、序盤はバイエルンと互角に戦った。18分、CHシェルブレッドのミドルシュートはDFがブロック。そして21分、左サイドで得たFKを左SBブラッテンハルトが蹴ると、ニアにCFイビシェビッチが飛び込んで足を伸ばす。ゴール。ヘルタが先制点を挙げた。

 原口もよく前への意識を持って仕掛けるが、バイエルンの守備も堅い。攻撃はもちろんだが、右SBペカリークとの連携がよく、守備でよく貢献していた。バイエルンは24分、右SHロッベンのFKにCBフメルスがヘディングシュートを放つが、GKヤーシュテインがキャッチする。ヘルタは守備もしっかりと固め、バイエルンの攻撃を寸断する。35分、CHキミッヒのドリブルから縦パスに右SHロッベンがシュート。しかしGKヤーシュテインが抑える。

 38分には右SH原口がドリブルで左SBベルナを抜き、右サイドからクロス。だがDFにブロックされる。続くCKにCBブルックスがヘディングでつなぎ、CFイビシェビッチボレーシュート。しかしこれは明らかなオフサイドだった。前半はヘルタがよく守り、バイエルンの攻撃が機能しないまま、1-0で折り返した。

 後半11分、左SHカルーが抜け出してドリブルから右に大きくラストパス。走り込んだ右SH原口がミドルシュートを放つが、枠を大きく外した。フリーだったのに、せめて枠へ飛ばしてほしかった。しかしその後もヘルタは攻撃陣がよく仕掛けて、バイエルンに攻撃をさせない。13分、CFイビシェビッチポストプレーから右に流し、右SBペカリークのクロスにOHダリダがシュート。しかしGKノイアーがキャッチする。バイエルンも16分、OHアラカンタラがミドルシュートを放つが、GKヤーシュテインがキャッチした。

 なかなか攻撃の糸口がつかめないバイエルンは16分、CHビダルとCHキミッヒに代えて、FWレバンドフスキとCHシャビ・アロンドを投入する。アルカンタラを1列下げてダブルボランチにし、レバンドフスキミュラーと並んで2トップ。18分、右SHロッベンがドリブルを仕掛けるが、CHシュタルクがよくカット。ヘルタは本当によく守る。28分には右SBラームの落としからCHシャビ・アロンソミドルシュートを放つが、これもDFがブロックした。32分、左SBベルナに代えてコマンを投入。

 しかし後半も40分近くなると、ヘルタは足を攣る選手が続出する。原口も足を伸ばしていた。42分、CFイビシェビッチに代えてエスバインを投入。エスバインはイビシェビッチと同じワントップに入る。44分、CBアラバのFKはGKヤーシュテインがナイスセーブ。47分、左SHカルーに代えてミッテルシュテットを投入。さらに49分、右SH原口に代えてルステンベルガーを投入する。しかしこの交代が裏目に出たか。51分、左SBコマンの仕掛けに右SBペカリークがPA手前で倒す。あとワンプレー。予定のアディショナルタイム5分を超えて、ダールダイ監督は時間が過ぎているとアピールする。そして蹴られたアルカンタラのFKを右SHロッベンミドルシュート。左SHミッテルシュタットが弾き返すが、こぼれ球をFWレバンドフスキがシュート。これが決まり、土壇場でバイエルンが追い付く。そしてタイムアップ。ゲームは1-1のドローで終わった。

 土壇場で勝利を逃してしまったヘルタ。そのショックは大きい。しかし同時に大きな経験ともなった。原口も悔しさをにじませつつ、90分本気のバイエルン相手に互角に戦えたことを評価していた。次節以降は日本人対決が続く。原口の活躍、そして他の日本人選手の活躍が楽しみだ。

パウロ

 キリスト教は一説にはパウロ教とも言われる。新約聖書は四福音書と使徒等が書いたいくつもの文書で構成されるが、その中でも多くを占めるのはパウロが書いたとされる書簡である。本書では実際にパウロが書いたのは「テサロニケ人への第一の手紙」を始めとする7つの文書だとするが、それらの執筆時期や執筆場所、時代背景等を解説しつつ、パウロの思想に迫っていく。

 イエスの死後、その意味をどう捉えるか、それまでのユダヤ教のあり方などを踏まえ、キリスト教は大きく二つに分かれる。それが律法遵守を掲げるヘブラニストと律法からの自由を説いたヘレニストである。パウロは回心する以前、狂信的なユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害していたが、回心後はヘレニストとして各地を宣教して回る。そしてパウロが開拓した各地の教団に、その後、ヘブラニストたちが入って人々を混乱させた。そうした中で書き送られたのが、聖書にある書簡の数々である。

 後半はパウロの「十字架の神学」について説明する。その中では筆者は、新共同訳聖書の誤りを指摘し、自ら翻訳した岩波訳聖書では「十字架につけられたままのイエス」という言葉を用いて、「弱さこそ強さ」という「十字架の逆説」を述べていく。またそれは同時に、贖罪論(イエスの犠牲により人類は救われる)の否定でもある。

 筆者は、キリスト教信者にして、神学者であるが、神学科を卒業した学生が多くの教会で牧師などを務めているのだと言う。神学科では当然、神の存在が前提となって研究がされているのだろう。その点で宗教学とは異なる。人はなぜ神を信じるのか。それは救いを求めているからだとは思うが、「信じる者は救われる」というキリスト教を揶揄する言葉こそがまさにパウロの思想ということだ。なぜ人は救われたいのか。その問いの答えはまだ見つからない。

 

パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)

パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)

 

 

パウロの捉え方は、神は律法を遵守するわざや行ないがまったくない不信心な者をそのままで義とする方であり、そのような神を信じ、そのことを明らかにしたイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、人は救われるのだという、いわゆる「信仰義認論」に深く通じるものであった。(P70)

○神がパウロの心の内において啓示したイエス・キリストは、すでに殺されておりながら、今もなお生き続けている、という逆説的な存在であったのである。そのような逆説的な「イエスの生命」が、もろくて弱い「土の器」である私たちキリスト者の身体にも息づいていること、言い換えれば、私たち自身もまたイエスと同様に、十字架につけられたまま殺害されているのだということを、パウロは伝えようとしている。(P121)

パウロの疑問に対して「神」は、「十字架につけられたままのイエス」の「幻」をパウロの内側に現出させると同時に、その「十字架につけられたままのイエス」こそ義なる存在、つまり神によって肯定されている存在なのである、とのインスピレーションをパウロの外側から与えたのではないか。「神の啓示」を受けるとは、このような内側と外側との呼応関係に基づく体験をすることを指すのではないか、と筆者は考える。(P176)

○十字架上のイエスの最後の絶叫は、これから起ころうとしている自らの運命をすべて知り尽くしている者の言葉ではない。・・・イエスは自らの明確な意志と願望とを持った真の「人間」であった。その意志と希望を打ち砕かれ、悲嘆と絶望のなかで虚しく死んでいったのが、イエスという人間である。パウロの「十字架の逆説」は、そのような非業の死を遂げた一個の人間としてのイエスを見よ、その最後の生き様と死に様から、目を逸らしてはならない、というメッセージでもある。そして、神は決して沈黙していたのではなく、むしろ、イエスの「復活」をとおして、悲惨で弱々しい「イエスの十字架」と悲痛な異議申し立てとを義とし肯定したのだ、と伝えているのである。(P180)

パウロが命を賭けて伝えようとしたのは、人間の自己絶対化を厳しく否定し、神の前に謙虚に自らを見つめ直して、人間の「弱さ」に深く思いを向けるように、というメッセージである。ナザレのイエスにおいて自らを顕わした神は、自らの足りなさと弱さを知る者をこそ義として肯定する神であり、われわれの希望は唯一そこに存在する。(P193)

 

100%の努力で80点の仕事

 先日、ある政治家の話を聞いていたら、「確かに私どもにも○○など反省すべき点はある。しかし問題の根本は△△ではないのか。」と言って、△△を強く批判する言葉を吐いていた。このポイントは、最初に「私どもにも反省すべき点はある。」と多少とも自らの非を認める点にある。ここで、最初から最後まで△△の批判に終始したら、「あなたがたには何の問題もないのか」と逆に非難されたかもしれない。しかし両者のマイナスポイントを並べることで、自分への批判も認めつつ、「しかし両者を比較すれば相手の方が相当にひどいだろ」と追及の矛先を相手に逸らしている。なるほどうまいものだと思った。

 この政治家がそうした言い方を意図して行っていたかどうかは定かでない。だが、自分のこととして振り返ると、2年ほど前に、多くの人の前である人を非難して、逆に「お前はどうなのか」と追及された経験がよみがえってきた。その時は、非難をした直後には大した批判もなく治まったものが、後日、別の形で非難されることとなり、非常に窮した。あの時、私は「勝ちすぎた」のではなかったか。

 それで先日の政治家の話を聞いて、今、思う。確かにある仕事に対して100%の努力を注ぐことは大事だ。しかしその結果に対しては、常に「80%の出来に過ぎない」と思う謙虚さが必要だ。100%の仕事ができたと思っても、時間の経過や見方の違いにより、欠点や改善点が見つかるものだ。どんなにがんばっても80点しか取れない。常に20%の改善の余地、反省点があると思うことで、心に余裕も生まれ、批判を受け入れることができるようになる。

 そのことが2年前のあの日にわかっていたら、もう少し別の言い方をしただろう。今さらながら、そんなことを勉強した。人生って一生、学び続けるものだなと感じた。