とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

真鶴

 句読点が多い。あえてそういう表現にしている。心の深奥を確かめつつ、微妙な震える思いを表現している。「ついてくるものがあった」と言う。最初はかすかな存在だったが、次第に大きくなり、幽霊との交信と道行きが主なストーリーとなる。
 解説に「夫が失踪したために精神を冒されかかった女性が、・・・自力で回復にこぎつける・・・までの、苦悩の物語」という記述があるが、平板に言ってしまえば、そのとおり。
 その真鶴への愛人や娘との旅行を経て、一人旅で幽霊と対峙し、克服する。その真鶴での心の揺れ動き、幻視幻聴と回復への叙述が迫真的で、読者の心を突き動かす。心の微妙さ、柔さ、不思議さ。それは自己への思いでもあり、人間理解でもある。
 これまでの川上作品は、どこかユーモアの漂うものが多かったが、この作品ではそうした甘さを排除して、読者に緊張を強いる。しかし、最後には家族に包まれ、周囲の人々の愛に包まれ、立ち直っていく。それによって置き捨ててきたもの(幽霊)があり、それへの愛惜の念もないではないが、忘れるべきものである。愛の深さとつながりの強さ、支えられ生きていく人間のあり方を思い知る。
 改めて川上弘美の幅の広さを思うとともに、代表作というに足る作品であると思った。

真鶴 (文春文庫)

真鶴 (文春文庫)

●知ってしまったのだ、この子は。ふいに思う。知らないものだったのに。けれどもう、知ってしまった。かわいそうに。知らないものは、かわいそうと思っていた。でも、ちがった。知ったもののほうが、もっとかわいそうなのだった。(P103)
●この電車は、真鶴と東京を結ぶいれものだ。わたしのからだを、まぼろしからうつしよへ、またはんたいに、今生から他生へはこんでくる、いれものだ。
●礼のことを思う。愛していた。愛という言葉の意味を、まだほんとうには、わたしは知らない。それならば、礼を思っていたそのこころもちのことを、愛することだと決めればいいのかもしれない。愛など、何の役にもたたないけれど。・・・/置いてゆかれたその後も、愛していた。愛することをやめられなかった。ないものを愛することは、むずかしい。愛している、そのこころもちが、こころもち自身の中に、はいりこんでしまう。袋が裏がえるように、こころもちも、裏がえってしまう。/裏がえった愛は、それでは愛の反対のものになるのか。/ちがう。/愛の反対は、憎しみか。あるいは、愛と同義なのが、憎しみか。どちらにしても、そんなすっきりしたものには、なってくれなかった。(P208)
●・・・こいしい、こうして隣にすわってすきまなく寄っていても、こいしさは薄まらない、かなしくて、かなしくて、からだが消えてしまいそうになる、消えてしまって、きもちだけになる、きもちも散って、そこには何もなくなってしまう、それでもこいしさは消えない、果てがない、鷺が飛んでゆく。(P220)