とんま天狗は雲の上

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市民の自立を阻害するマスコミのふるまい

 普天間問題が、福島党首の罷免、社民党の連立離脱といった華々しい出来事とともに、訳がわからないうちに(一応)決着した。次はワールドカップと思いきや、岡田ジャパンイングランド戦で意外な奮闘を見せると、政局は一気に鳩山退陣に向けて動き出し、今日の辞任表明に至った。
 こうした中、今朝の中日新聞大阪大学の鷲田学長による「『顧客』のふるまい 『市民』のふるまい」というコラムが掲載されており、興味を持って拝読した。
 「普天間基地移設をめぐる顛末については、メディアがこぞって鳩山総理の『失態』をきびしく批判している。」という書き出しで始まるコラムは、「『抑止力』の別の構図が提示できないこと・・・。基地移設問題に対してこのような反応しかできていないメディア、そして国民は、いっせいにそのいらだちを首相の『無能』に向けている。」と書いて、実は「首相糾弾の厳しさは、自己の無能ぶりに眼を背けたいという、ひとびとの密かな願望の強さを逆証明しているのではないか。もしそうだとしたら、鳩山首相はいままさに『国民』の象徴である。」と断じている。
 確かに、この間の政治騒動は、鳩山首相の本音もよくわからなかったが、最初から「普天間移設など出来るわけないだろ」という論調のまま、批判的な報道をし続けたマスコミの姿勢もよくわからないものだった。
 最近の報道番組のあまりのひどさにテレビはスポーツ等の娯楽番組以外は見ることもなく、新聞もろくに見ないようになっている。それで何も困らないし、変に洗脳される方が危ういと思う今日この頃。
 中日新聞も最近は一面下欄の「中日春秋」欄がひどい。朝日新聞の「天声人語」等に匹敵する巻頭コラムで、一面主要記事に続いて取り敢えず目を通すところだが、最近のマスコミ偏向に迎合する自己批判精神のない腑抜けた内容で朝から士気が削がれる。しかしページ半ばの「特報」欄や文化欄コラムには、中立的・多面的な記事もしばしば掲載され、全体でバランスを取っている感がある。
 鷲田学長のコラムは、マスコミに扇動されて政治の外側から批判をするばかりの市民に対して、政権交代は市民の手に政治を取り戻すことではなかったのか。市民が主体となって政治に関わるべきではないのかと主張し、こう締めくくっている。

●ひとびとにいま求められているのは、そうした政治というサーヴィスの消費者、つまり「顧客」としてのふるまいではなく、社会を担う、受け身ではない「市民」としてのふるまいではないのか。政治家にお任せで、そのサーヴィスに文句をつけるだけのヤマトンチューに、すくなくとも沖縄のひとたちは「顧客」のふるまいしか見ないであろう。

 まさに至言と言える。鷲田氏によれば国民の象徴である鳩山首相が退陣した。顧客は自らを食いつぶしたのである。次に立ち上がるのは「市民」なのか。それとも既成勢力とそれに巣くうマスコミという「独裁者」なのか。次はそれを問われているのかもしれない。