とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評 issue21

 W杯が終わった。もう2ヶ月余りが過ぎ、Jリーグは再開し、欧州リーグも始まってきている。次第にW杯も過去のものとなっていくだろうか。日本代表監督には森保一氏が就任した。アジア大会は別にして、代表世代ではまだ1ゲームをしていない状況では、次を語ることもできない。まずはW杯ロシア大会の総括を。「W杯総括」。それが今号のテーマだ。

 冒頭の「西野ジャパンの軌跡」で基本的な論点を抑えた上で、西部謙司加部究宇都宮徹壱らの実力派スポーツライターが西野ジャパンの激闘を評価し、今後への展望と課題を描く。セネガル、ベルギーの選手・監督の証言などから構成する「対戦国から見た日本」という記事も面白い。川島永嗣へのインタビューや乾貴士のエイバルのコーチ人らが語る記事も興味深かった。そして意外に深いなあと感じたのが、湘南ベルマーレ監督・曺貴裁のインタビュー。「ワールドカップが教えてくれたこと」というタイトルで、ベルマーレではなく代表チームを語っている。

 またワールドカップと直接関係はないが、木村浩嗣の「クラブの枠を超えた選手間の情報共有」はグリーズマンアトレティコ残留を発表する特別番組に関わるピケ(バルセロナ)の問題を紹介している。スペインではかなりの騒動になった様子。また、長束恭行の「クロアチア 美しき犠牲者と卑しき権力者」も興味深い。この場合の卑しき権力者とはクロアチアサッカー連盟会長のダヴォル・シュケルのことだ。

 他にも、いつもの連載記事も、どこかでW杯の日本の健闘を扱っている。やはりそれだけ衝撃の残る結果だったのだ。幅允孝の「ボールは跳ねるよ、どこまでも。」は「砕かれたハリルホジッチ・プラン」を取り上げているし、「KFG蹴球”誌上”革命論」も・・・いやこれは、ただのパロディか。その中で、サッカー選手のモテ具合について書いた武田砂鉄の「スポーツ文化異論」はやや浮いていた、かな。

 さて、今号で編集長が交代するそうだ。次号はどんな内容、何を特集するのかな。日本の、世界のサッカーシーンは何が話題となっているのだろうか。そう、時は確実に流れていくのだ。

 

フットボール批評issue21

フットボール批評issue21

 

 

○代表チームは国家代表などではない。一部の国では国家代表と表現しているし、ナショナルチームである以上、国家を代表している部分はある。しかし、代表チームがその国の人々に愛され、ときに感動を呼び起こしてくれるのは、彼らが我々だからだ。彼らが背負っているのは国家の威信などではなく、我々の日常生活とその中にあるサッカーを背負っているからだ。(P009)

○ゲーム戦術をやろうとすると、選手はそれを意識するので足が止まったり、展開を見ちゃったりすることが往々にしてあります。「自分はこれをやっていればいいだろう」という気持ちになり、そうすると判断ができなくなってしまう。それがサッカーの怖いところ、面白いところです。・・・ゲームプランがどうだったからハマって勝てたというような話は、90パーセントが結果論だと思います。その裏に何があったか。今大会は何かが潜んでいそうな試合が多かった。だから面白かった。(P040)

○今回の日本は、何か新しいことをやったというより「原点に帰った」と捉えています。大事なのは原点があること。そのときどきの監督がいろいろなことを求めてきて、それぞれが微妙に違っていた。今回、西野監督は日本がもともと持っていた特性に色をつけないで、「自信を持ってやれ」と送り出した気がします。それで勝てる自信があったのでしょう。・・・実は日本の選手の間での価値観はそんなにズレがなかったのではないか。つまり、表立っていなくても原点はすでに「あった」。それを再認識できたのがワールドカップだったのではないかと。(P043)

Jリーグをみると、結果を残した選手が10年も同じクラブにいるケースがあります。『お前、まだ居るんかい』って(笑)。そのため、その下の若手が経験を積むことができず、選手が育っていかない部分もあります。新しい水が注ぎ込まない池は、濁っていく。その循環システムができないのが難しい点だと思います。柴崎岳は海外へ出ていって正解だったと思います。鹿島アントラーズにいたら10年間は安泰だったと思いますが、彼はそれを選ばなかった。・・・それが今回のワールドカップにつながりました。(P104)