とんま天狗は雲の上

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これが答えだ!少子化問題

○筆者は少なくとも現状のような少子化対策の傾向が継続するならば、出生率の十全な回復は難しいという見込みをもっている。多少の出生率向上があったとしても「焼け石に水」であり、少子高齢化や人口減少がもたらす弊害とされる経済成長の鈍化や、年金・医療・福祉制度の不安定化に対して、根本的な解決策になるものではない。それゆえ少子化や人口減少をいたずらに悲観するのではなく、あくまでこれらを前提としたうえで社会のしくみを整えていくべきだとの思いは変わらない。(P022)

  この序章に書かれた一文こそが、筆者の少子化対策に対する主張である。そして以降は、現在、政府で進められている少子対策がいかに意味がなく、間違った統計操作によって作り出されたものかを明らかにしていく。「女性が働けば、子どもは増えるのか?」「希望子ども数が増えれば、子どもは増えるのか?」「男性を支援すれば、子どもは増えるのか?」「豊かになれば、子どもは増えるのか?」。第4章までのタイトルだが、すべて答えはノーだ。

 第1章、第2章の疑問に対しては、作為的な統計の扱い方を暴露して、最後は数理社会学者の池周一郎氏の主張を紹介する。

 ○数理社会学者の池周一郎氏がかねてより主張しているように、「夫婦出生力は社会経済的諸条件には依存していない」という解釈が妥当であるように思われる。池氏によれば夫婦出生力の安定は・・・「夫婦の子ども数は他の夫婦の子ども数の影響を相互に受けて変化する」という原理に従った、低出生行動の伝播・拡散の帰結とされる。(P073)

  また、第3章で紹介される「KY氏の雑記ログ」の「ハイパガミーと格差対策、男女平等、少子化対策」のクアドレンマの説も説得力がある。そして第5章で、戦前社会学の知の巨人・高田保馬の少子論が紹介される。それは、ある程度の地位にある階級では、地位の確保と向上を欲するため、出生制限をするという説だ。加えて、貧困層や富裕層でこうした力が働かないことも説明をしている。すなわち、中間層が多く、階級の流動性が確保されている日本の状況では、必然的に少子化にならざるを得ないとするもの。結局、少子化は現在日本の社会構造に由来するものであり、日本人をコスト合理性で動く経済的人間像から立案された各種の福祉施策では如何ともしがたい。いや逆に少子化を促進しかねないと言う。

 ではどうすればいいのか。赤川氏の持論は、冒頭に引用したように、「少子化を受け入れ、それでも社会が回っていくようなしくみを考えねばならない」(P169)という点にあるが、それでも3つの応急措置を提言している。①不必要に煽らない、②政治家や官僚の手柄や政争の具にしない、そして現在行われている、③さまざまな福祉支援・経済体格を少子化対策の名の下に行うことをやめる。そして生活期待水準を高めずに生活水準を高めるためには・・・。それは言えない。「ステルス支援」に徹するというのだが、最後はほとんどお笑いのようなオチで終わった。でも、たぶんこれが真実に一番近いだろうと思う。

 

 

○(1)女性は自分より年収の高い男性としか結婚したがらないという事実(=ハイパガミー)を受け入れた上で、(2)男女の収入の均等が達成され(=男女平等)、(3)子どもの教育機会の均等を達成する福祉(=格差対策)を実現しようとすると、女性の社会進出を阻害する税制にせざるを得ない。・・・「ハイパガミー・男女平等・格差対策・少子化対策にはクアドレンマ、すなわち四つの解を同時に実現することができない事態が存在する」(P094)

○貧富による出生率の差異は・・・大部分、人為的出生制限にあると高田はみる。そして出生制限がおこなわれる原因として、「力の欲望」、すなわち「自己の優勝と此優勝の誇示とを欲する欲望」にその答えを求めている。・・・豊かな階級は、更に高い地位に上る見込みが大きく、現在の地位は力の欲望を満足させる。それゆえ現在の地位を失わずに、更に向上しようとする欲望が強くなるがゆえに産児制限が行われる。(P152)

○現在の少子化対策が想定しているのは、結婚や出産に伴う「機会費用」を埋め合わせれば、結婚や出産に「インセンティヴ」を与えれば、人は合理的なコスト計算に基づいて結婚や出生行動を行うだろうという「経済学的人間像」である。・・・社会学はその発祥以来、「個人の意識に外在し、拘束する」ものとしての社会的事実にターゲットをあててきた。・・・出生率の変遷こそ、個人の希望や思惑を超えて集合的に進行する、社会的事実の典型なのである。(P168)

世帯年収500万円で、結婚と2人以上の子育てが可能となる世界がこの日本に存在するとすれば、それはおそらく、拠点都市ではない地方と、都市下層においてである。・・・それは都会人の目からみれば、「貧乏人の子沢山」の世界にみえるかもしれないが、必要以上に生活期待水準を上昇させず、・・・「徹底的に世話を焼く」コミュニティが存在し、「近居」しながらイクジィが子育て支援しやすい世界であるのかもしれない。(P181)

○なるだけひっそりと、黙々と実績を積み上げるステルス戦闘機のごとくに行われる福祉政策であれば、生活期待水準を高めずに、生活水準だけを上げることができるかもしれない。・・・もっとも、その具体的な政策のありかたをここで示すことはできない。なぜなら具体的に示してしまったら、そもそも「ステルス支援」ではなくなってしまうからだ。(P191)