とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

約束された移動

 短編が6編。表題の「約束された移動」は、ロイヤルスイートの担当となったホテルの清掃員と宿泊者ではあってもけっして会うことはないハリウッド俳優との交流。「ダイアナとバーバラ」は、手作りしたダイアナ妃の衣装を着て孫娘とデパートへ通う祖母の話。「元迷子係の黒目」は、隣家に住む遠縁の高齢女性と少女との交流を描く。

 いずれも「移動」がテーマ、かどうかはわからない。どんな作品でも少なからず移動する場面はあるものだ。それよりは、社会からほんの少しはみ出した者のささやかな心の襞と、そこに差し込まれる微かにしてほの温かい交流が描かれているように感じる。社会の表舞台からは隠れて見えないけれど、その陰で息づいている小さな者たちの震えるような心の動き。

 「寄生」は恋人にプロポーズしようと向かう道中で、痴呆症の老女に抱きつかれ、身動きができなくなった若者の話。ようやく恋人と出会うことができた場面の優しさには思わず涙が浮かぶ。「黒子羊はどこへ」はやや難解。「子羊の園」を開園した女性がなぜ死ぬ必要があったのか、よく分からない。最後の「巨人の接待」は、「巨人」というあだ名が似つかわしくないほど繊細な老小説家と通訳との心温まる交流を描く。

 「約束された移動」に描かれている象の行進と出産は、大阪万博の際に本当にあった出来事だそうだ。まるで小説世界のような心温まるエピソード。本書に詰め込まれた各作品もそんなエピソードに連なるように、寒い冬にひと時、心を暖めてくれる。

 

約束された移動

約束された移動

 

 

○昔々、この町で万国博覧会が開かれた時、船で運ばれてきた十六頭の象たちが、港から会場まで、東に向かって川沿いの道を行進したんだよ。…途中、ハプニングと言えば、河口の橋のたもとで赤ちゃんが生まれたことだ。大行進を祝福するのに、これ以上の出来事があるだろうか。…ああ、これはあらかじめ約束された移動なのだ、と誰もが深くうなずいて、生まれたばかりのその生きものに祈りを捧げた。(P8)

○「手を握るのでもない、添えるのともちょっと違う。補助員が手を差し出すのはつまり、良きタイミングを伝えるための合図なんだ。二人の指が触れ合った信号が、足に伝わって、水平になった板の中央を踏める。客はまるで、一人でエスカレーターに乗れたかのような錯覚に陥る。でも指先には確かに誰かの感触が残っている。…エスカレーター補助員は、こうでなくっちゃいけない」(P62)

○私はいっぺんで彼女の黒目の虜になった。何を見ているかなんて、他人に分からせる必要がどこにある? 自分自身だってそんなこと、別に知りたくもない。あの厄介で鬱陶しい協調というものを、これほどきっぱり無視している二個の黒目に、私は畏敬の念を抱いた。(P90)

○レストランに到着した時、彼女はまだ僕を待っていた。思ったとおり、とびきりのお洒落をしていた。/「ごめんよ」/僕を見つけると、彼女はその黒い瞳を真っ直ぐにこちらに向けた。/「きっと、来てくれると思ってた」/「急に、どうしてもやらなくちゃならない務めが……」/「うん、分かってる」/僕の説明を最後まで聞かずに、彼女は言った。/「無事に果せた?」/右腕に手をやり、そこにある空洞をさするようにしながら、僕はうなずいた。/「それはよかった」/彼女は微笑んだ。(P146)

○けれど私は少しも傷ついたりしない。二人だけの時、巨人の声がいかに真っ直ぐ私の耳へ届いてくるか、それがいかに優しい声か、よく分かっているからだ。巨人の本当の声とその意味を知っているのは私だけだ、と思うだけで、自分が大事な使命を帯びた天使にでもなった気持になれる。(P194)