とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

嘘みたいな本当の話

 アメリカで募集・放送された「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」の日本版としてAmazonのWeb文芸誌マトグロッソ」で募集され、内田樹高橋源一郎の両氏が選定した149作品を収録。その前後に、「まえがき」と「あとがき」、そして翻訳家・柴田元幸氏と内田樹氏との対談が添えられているが、実はそちらの方が興味深かったりする。
 すなわち、日米の差、日本人は話を「定型」に落とし込もうとするという指摘と考察だ。日本の方が社会構造がしっかりしていないので、「定型」の中に自身の存立基盤を求めるのではという。なるほど。
 それはともかく、149編の実話だが、面白いものもあれば、それほどでないものもある。「定型」ということで言えば、「すべらない話」などに見られるオチを意識した組み立ての話が多いのは気になる。あえてオチを狙ったものよりも素直に書かれた方がかえってリアルに感じる。
 ということで、全149編のうち、私が最も気に入ったのは、コインロッカーに「ドント・ユーズ!」と書かれていたという話。「この国の未来」というタイトルもシュールだ。
 その他に気に行ったのは、階段で落としたハイヒールを即座に拾って履かせてくれ、去っていったという「シンデレラ」、日本で貸したヘブライ語版「ノルウェイの森」が、強制送還された借り手から巡り巡って元の持ち主に戻ったという「ハルキをめぐる冒険」、赤の他人と30分以上も電話で甘い会話をしてしまったという「真夜中の甘い電話」、外観は本物そっくりのエアコンを作り上げた「桐生ヶ峰」、亡くなった友人の通夜で夫に死者が乗り移ったかのようだったという「友達」、するめを齧ったらムチ打ちになったという「するめ」くらいかな。
 忘れ物の話など、私にすれば当たり前な話もあって、それなら私の日常を書けばいくらでも「嘘みたいな本当の話」が投稿できると思ったが、このブログでももうかなり披露してしまった。そうだ、墓場まで持っていこうと思っている実話がいくつかあるなあ。気が向いたら匿名でマトグロッソに投稿しようかしらん。

●アメリカ人は「細部」と「具体」を重んじ、日本人は「定型」と「教訓」を好む。/どうしてなんでしょう。/たぶん、アメリカの人たちには「我々は何のためにアメリカという国を建国し、維持しているのか」ということについての国民的合意があるからなのでしょう。/社会構造がしっかりしていると、社会成員には自由と創意が許される。社会の存立理念がはっきり言語化されていると、そのなかにいる個人は思う存分個性的に振る舞うことができる。・・・/わが国の人々の語り出す「私の物語」が定型を求めるのは、社会の存立理念が言語化されていないということ、私人性と公民性のあいだを常にゆらゆらしていることとおそらくは深いかかわりがあると思います。(P19)
●定型へのこだわりは日本人のリアルに対する恐怖心の表れじゃないかと。・・・日本人はリアルをリアルなまま受け止めることができない。だから、定型に落とし込もうとする。標準性・規格性をイデオロギー的に押し付けられているというよりも、現実に対するプリミティヴな恐怖心は定型を呼び寄せているんじゃないか、(P321)