とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

コソボ 苦闘する親米国家☆

 ストイコビッチJリーグのゲームで「NATO STOP STRIKES」と書かれたTシャツを見せて注意を受けたことは今も覚えている。「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」で文壇デビューして以降、木村元彦は継続して、ユーゴスラビアを構成した国々のその後を追いかけている。

 本書は3章から成る。第1章は2006年の年末、当時サンフレッチェのコーチをしていたランコ・ポポビッチを知り、彼の故郷ペーチを訪問しようと思い立ったところから始まる。古都ペーチはセルビア正教の聖地にして、今はコソボ領地内でわずかに残ったセルビア人がエンクレイブ(民族集住地域)で身を潜めるようにして暮らしている。2007年、ポポビッチにあった後、筆者は現地に向かう。途中のベオグラードでは拉致被害者家族の抗議行動に立会い、ペーチではセルビア人エンクレイブのチャグラビッツァや独立系ラジオ局を訪問し、ポポビッチがかつて住んでいた家に辿り着く。今ではアルバニア人家族が生活をしていた。

 その4ヶ月後の2008年2月、米国の後ろ盾により「コソボ共和国」として独立を宣言する。当時、ポポビッチセルビアに帰り、サッカーチームの指導をしていた。そこで彼に会うために筆者は再びセルビアに向かった。ベオグラードでは独立を否定するデモ隊に立会い、ポポビッチと再会。コソボ紛争で「セルビア人もアルバニア人も傷ついてきたが、腹立たしいのは、遠い所で殴り合いをさせているヤツが最も得をしているということだ」というポポビッチの言葉が胸を打つ。ポポビッチはその後、筆者の紹介で、トリニータの監督に就任した。

 第2章は、コソボ解放軍(KLA)が拉致被害者を殺害し、臓器を抜いて臓器売買をしていたという噂を追って、アルバニアへ行った2013年の記録だ。2008年春、ICTY旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)のカルラ・デル・ポンテ検事が「追跡、国際犯罪と私」という本が出版された。ポンテが検事を退任した後、臓器売買の犯罪に関する証拠と証言を公開した回顧録である。この本では、KLAは拉致被害者アルバニアに連行し、「黄色い家」と呼ばれる家で手術し、臓器を抜いて密売をしていたとする。その「黄色い家」を訪ねた記録だ。ちなみに、その後コソボ大統領を務めたハシム・タチや首相だったラムシュ・ハラディナイらはKLAの司令官だった。

 章の前半はポンテの本から、いかに困難な中、ポンテが犯罪の実態に迫ったかが紹介される。ついで、欧州評議会法務人権委員会委員として臓器密売調査を実施したディック・マーティの報告書「コソボにおける非人道的行為と臓器密売貿易」が紹介される。だがこれらの調査も結局、犯罪者らの逮捕までは行き着かず、ICTYにより戦争犯罪で起訴されたラムシュ・ハラディナイも無罪で釈放された。2013年、いよいよ筆者はアルバニアへ向かう。途中、「黄色い家」を取材したセルビアの放送局で記者を務めた女性を取材し、当時、モンテネグロサッカー協会の会長だったサビチェヴィッチに会い、モンテネグロ経由でアルバニアに入る。最後は「黄色い家」に住む管理人のカトゥーチにも会うが、彼は終始興奮し激怒し、さらにこう言った。「俺はタチの仲間だぞ」。ハシム・タチはしっかり臓器密売に関わっていたのだ。帰りにはコソボサッカーリーグのコミッショナーとサッカー協会会長のヴォークリや元コソボ代表監督のソコリらに会い、インタビューをする。サッカー協会は大アルバニア主義コソボを周辺地域も含めてアルバニアに合併させようと主張する思想)に犯されることなく、あくまで多民族国家であるコソボを前提に活動をしようとしていた。

 第3章は、2014年10月のヨーロッパ予選のセルビアアルバニアのゲームの途中で、大アルバニアの領土図を描いた地図を吊り下げたドローンが舞い降りた事件から始まる。一方、イラク・シリア国境ではISILがイスラム国の独立を宣言する。そこでフェイスブックに流されたムジャヒディンこそ、コソボ出身のアルバニア人だと言う。コソボからイスラム国の兵士として移住する人々が増えている。2015年、筆者は再びコソボへ向かう。2016年にはFIFAコソボサッカー協会の加盟を承認。以降はコソボ代表の戦いを取材した記録だ。「双頭の鷲か、六つの星か」という章のタイトルには、大アルバニア主義に向かうのか、あくまで多民族国家として進むのかという意味が込められている。ロシア大会でのジャカやシャキリの行為は批判を読んだが、穏便な措置で済んでいる。最後、2019年6月にはコソボで開催されたNATO空爆20周年祝賀式典を取材する。空爆当時の大統領ビル・クリントン国務長官オルブライトが招かれている。

 なぜ米国はここまでコソボに肩入れするのか。そこには、現在進行中のウクライナ紛争にもつながる覇権主義がある。イスラム国の問題にしても、結局、世界の紛争の多くは米国が仕掛けたものではないのか。2019年、コソボアルバニアとの合併を主張する自己決定運動党が政権を握った。さらに2022年にはEUに加盟申請をしている。まだ紛争は続く。世界に平和が訪れる日はないのか。「アメリカは…ギルティー・コンシャス、罪深いことを意識してやっている」。映画監督エミール・クストリッツァの言葉が空しく響く。

 

 

○かつてはセルビア内での自治権を求めていたコソボの多くのアルバニア人の要求は、民族主義の沸騰と共に自治州への昇格から、独立に向かい、現在に至っては、本国であるアルバニアとの合併を主張するまでに至った。一方でセルビア人にとってコソボは、中世より栄えたセルビア正教の聖地であり、民族発祥のかけがえのない土地として、独立を到底認めるわけにはいかない。ましてやアルバニアとの合併など、言語道断という意志である。(P19)

○ここまで米国がコソボ固執するのは…米軍基地を建設するのが目的だったからとも言われている。中東と欧州の狭間にあるこの地域は軍事基地としても重要であり、米国はKLA出身者をトップに据えたコソボ政府との蜜月関係を築くことで、コソボ国内での自由な軍事行動を空爆後の99年6月から手に入れている。コソボアルバニア人たちは、民族自決を叫んでセルビアからの独立を熱望したのだが、外国の軍隊を駐留させていることには、いささかの違和感も呈さずにこれを歓迎し続けている。(P29)

○「ユーゴスラビアのサッカーがなぜ独創的でアイデアに溢れているのか? バルカン半島では遺産相続は意味がないと言われています。なぜなら二代と平和が続かずに、戦争が起きてなくなってしまうからです。だから何ごとも一代で作りだすしかない。自分で何とかするしかない、という考えが私たちには刷り込まれているのです」(P64)

○22年10月、離日前のポポに会いに行った。こんな言葉を彼は残した。/「ここ数年のコソボの紛争について言えば、我々は互いに殴り合いをさせられてきた。セルビア人もアルバニア人も傷ついてきたが、腹立たしいのは、遠い所で殴り合いをさせているヤツが最も得をしているということだ」(P82)

コソボは米国の後ろ盾で独立を果たした国家であり、政治外交では、世界で最も親米の国。…よりによってそんな国から、反米のイスラム国に多くの人間が、兵士として移住に向かっている。…「すべては貧困と未来が見えないことが原因だ。それによって過激な連中がつけ入る隙を与えている」とプリシュティナの中央バスターミナルの職員は言った。(P176)

アルバニア人が多数派であるアルバニアコソボという国が二つあるのは、別におかしくない。ゲルマン民族の国がドイツとオーストリアというように二つ存在するのと同じです。…一民族一国家という幻想ではなく、コソボは早く市民社会を作らなくてはなりません。…ヴォークリの主張こそが正しいのです。本当はコソボ人として、アルバニア人のためではなくてコソボに住んでいる人たちのことを考えて生きていく。市民は平等に扱われるべきです。(P200)