とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

転がる珠玉のように

 今年最後に読んだのは、本書。「婦人公論」他に連載した短いエッセイを集めたもの。その数、59編。それぞれの長さは2000字弱。この程度だと一気に読めるし、内容も複雑ではないので、読みやすくわかりやすい。

 そしてタイトルの「珠玉」は、最初の1編の「世界は珠玉でできている」で始まり、最後のあとがきで「『珠玉』というのは…わたしたちの日常に転がっている」で締めくくられる。そう、何気ない日常こそ「珠玉」。そして「始まったものには終わりがあり、何かが終われば始まる」(P256)。一年の終わりに読むにはふさわしいエッセイ集だったかもしれない。

 来年もこうした珠玉の連なりの中で生きていければいい。

 

 

○わたしの姿は、英国人の同僚に比べるとフィジカルにも小柄であった。…Life is rocky when you’re a gem/そりゃ本人がgemだったら、ライフが山あり谷ありになるのは当然だろう。…などと長々とぼやいてきたが、実際にはgemというのは「いい人」ぐらいの意味で、とくに目立たない人を褒めるときに便利は言葉だ。…つまり、世の中は珠玉だらけってわけ。世界は珠玉でできている。(P010)

○「my better half」と呼ばれていたブラジル人の友人は…忍耐力でも寛容さでもほんとうに優れていた。…気立てが良すぎる彼女は、別れてからも元配偶者の母親を老人ホームに定期的に訪ね…世話をしていた。…けれども…恋人のある言葉…「いい人でいるのは、もうやめたほうがいい」…こうして友人は英国から去って行き…そのときの恋人と幸福にデンマークで暮らしている。誰かのベターな半身であることをやめて、ベストな人生の伴走者を得た例である。(P064)

○連合いは現在、がんの治療中だが…幸運にも一命をとりとめた後で、彼はこんなことを言ったのである。/「もしもがんが治るようなことがあれば…もう一度、子どもを育てたい…おまえは保育士だったし、俺たち、里親になれるんじゃないか」…「そうなったら協力するよ」/とわたしは言った。/いくつになっても、どんな状況になっても、遅すぎることはない。人を生かすのはたぶんそのスピリットなのかもしれない。(P108)

○「何時間もよく並んだねって呆れる人もいたけど、どうせわたしたち、ふだんだってどうでもいいことに追われて時間を過ごしているんだもん。歴史の一ページに参加できる機会なんてそうあるものじゃないよね」(P138)

○思えば、物を考えるということは、何か明確な答えを出したり、「ここがゴール」という到達点に辿り着くための作業ではない。深く広く考えれば考えるほど、「こういう事象もあったのか」とこれまで知らなかったことがわかってきて、思考はどんどん取り散らかっていく。(P156)

○実家の奥の部屋で介護ベッドに横になり…「さよなら!」/とはっきりした声で母は言ったのである。…「転がる珠玉」というのは人間のことではなく、むしろわたしたちの日常に転がっている…一つ一つのことなのかもしれない。…日常は転がり続け、止まらない。…始まったものには終わりがあり、何かが終われば始まるものがある。/わたしも「さよなら!」と言い続ける人でありたい。(P254)